よくスピリチュアルでは『波動を高めよう』と言われることがあります
時にそういう向上心も大事だなぁと思う一方で、僕の場合、この辺はほとんど意識してないです。
というのも自然体で『心(魂)』を大切に生きていくうちに、根っこの方から波動が上がっていくものだと感じているからです(* ´ー`)乂(^O^*)
また、あまり『波動を高める』ことの意識が先に来てしまうと、付け焼刃じゃないですが、表面的で応用が効かない一時的な力になっていがちかなぁとも思います。
この現実とは、いろいろなタイプの人といろいろな状況の中で瞬間瞬間ふれあいながら成長していく世界ですから、いちいち集中してリラックスして波動を高めて…ということがいつもできるわけではないですよね(-人-≡゚Д゚)
それに、そもそもそんなことをせずとも素の心のままで波動が高くなっていくことが一番大切なことかと思うのです
この辺はスピリチュアルのお仕事をさせて頂く側として、大事なところだなぁと思うんです
あんまり、スピリチュアルが特に素晴らしいという考え方ではなくて、現実社会にも広く柔軟に溶け込めるようなスタンスが大切だろうなぁと常々思っています。
さて、今日はこの辺のことについて、あるじと話し合ってみようと思います(^^)
あるじぃ~(* ̄Oノ ̄*)
あるじ「柔軟さというのは、いついかなる場合でも大切なことだな。
特にスピリチュアルという分野においては、個人の感覚に判断を委ねられることが多い。
まだ、しっかりとした理解が確立されていない分野ということもあるね。
だから、時に関わる者が一面的な情報を断定的に強く伝えることもある。
しかし、目には見えない分野というのは簡単なものではない。
どんな時も、答えを決めつけずに、柔軟に真実を探す姿勢は大切だ。
それは、実にワシも常々意識していることなのだよ。
簡単に決めつけられることなどないのだ。
それはつまり『波動が高ければよい』『波動が低い状態はよくない』ということもそうだね。
時に大きな志を持った魂はあえて大きな闇を背負う計画を持って生まれることがある。
例えばいじめられたり、親から暴力を受けたりということだが、それ以外にも感受性が強いが故に、本人も知らないうちに見えないレベルで人の恐れや苦しみを受け取る場合もある。
それはまるで掃除機の様に、潜在的な人の苦しみを請け負い、自らの心で味わって消化する役目だね。
そういう者は、人混みが苦手だったり、大勢とふれあうのが苦手だったりする。
だが、義務教育というものがある以上、集団から逃げることができないのがこの社会の仕組みだね。
その場合、請け負った闇を、長い時間をかけて心(魂)の力を使って消化することもある。
当然、その時のその者の波動は低いだろうが、ワシらから見たらそういう者ほど『世の中に奉仕している』とハッキリわかるのだ。
なぜならば、いじめや暴力を受けること、もしくは感受性を開いて闇を請け負うということは、それだけでこの世の中の闇を背負い消化するという奉仕行為だからだ。
スピリチュアルに関わる者の中で、簡単に愛にフォーカスしたり、瞑想したりで、波動を高めればいいと考える者もいるが、それぞれタイミングというものがあり、今の時期はまず自分の背負った闇をしっかりと消化すべきものも多い。
その場合は、愛や癒しにフォーカスすることが、かえって逃避になる場合もある。
もちろん、その全てが悪いわけではないよ。
必要なタイミングで愛や癒しにフォーカスして、波動を高めることは当然よいことだ。
だが、その『必要なタイミング』がわかるのは、あくまでも本人の『心』だ。
だれか、他人が決めることではない。
強く勧められたからとか、みんながいいというからという理由で決めないでほしいのだ。
そろそろ、多くの人が自分の心が感じていることに正直に生きるべき段階にある。
周囲を見回して『何が効果があるか』と探す前に、『自分の心は今何を望んでいるのか』をよく感じてほしい。
その時に、案外何も外界からは必要ではなく、ゆっくりと自分の気持ちを味わい、安らぐことが必要とわかるかもしれない。
または、目の前の人間関係から逃げずに向き合うことが必要とわかるかもしれない。」
おお~、今日はあるじが饒舌だねぇ∑(゚Д゚)
なになに?
高次元の方ではなにかあったの?
普段は「ゆっくりいけばいい」とか言っているのにさ(´Д`)
あるじ「いろいろ動きはあるのだよ。
今すぐというわけではないが、これから少し時間が経つと世の中も動き出す。
そのための準備が必要なのだが、動くべき人が動かずにいる場合も多いのだ。
特にスピリチュアルに答えを探している人達は足が重いことが多い。
このブログの読者にそういう者は少ないのだが、ここでこの情報を伝えれば、全体的な変化が起こって伝わる流れが加速するのでな。」
あ~、やっぱりね。
なんとなく、上(神々)の事情の様な感じがしたよ(笑)
あるじは尻を叩くのが得意だからねぇ。
僕はさんざん叩かれてきたからさ(笑)
あるじ「ワシは気付きを促す役目だよ。
大切なのは、自分がどう感じているのかをよく知ること、そして正直なその気持ちを大切にすることだ。
なかなか難しいことも多いだろう。
例えば『学校に行きたくない』と感じているのに、それにフタをして学校に行き続ければ、いつしか『行きたくない』という本当の気持ちは分からなくなる。
実のところ多くの人がそういう心のマヒ状態をいくらか抱えているのだ。
ただ、ワシが言いたいのはそれで『学校に行くな』ということではない。
自分の気持ちをよく理解して、『そうだよね、行きたくないよね。それでも行っている自分は立派だなぁ』と思ってほしいのだ。
フタをしてきた自分への共感とねぎらい…、つまり自分を愛するということだね。
ただ気持ちにフタをして頑張るのと表面的な行動は一緒でも、ここまで自分の気持ちをよく感じてあげるのでは、人生が大きく変わってくる。
気持ちとは個人的なものの様に見えるが、そのエネルギーは実に大きく、それをできるだけオープンにすることで人生に肯定的な流れを創ることができる。
逆に、自分の気持ちにフタをしているとエネルギーが停滞するので、人生に流れや勢いが産まれないのだ。
この世には運のいい人と悪い人がいるが、その違いは案外こういう部分にあるのだよ。」
ああ~、なるほどねぇ∑(゚Д゚)
僕も気持ちを大切にした方が現実の流れがよくなるという感覚わかります。
つまり、あるじが言いたいのはスピリチュアル的に『波動を高めよう』とかするまえに、まず『自分の気持ちを大切にしよう』ということなのでしょうかね?
あるじ「さよう。
自分の気持ちにフタをしたままいくら波動を高めようとしても、結局はたいして高まらないのだよ。
普段から自分の気持ちを大切にしなさい。
そこにあなたの本当のエネルギー源があるのだ。
あなたはこの世界に必要とされて生まれてきた。
他人や社会があなたを評価しないとしても、私達は必ずあなたの良さを見ているし、必ず評価している。
あなたの心、つまりあなたの気持ちそのものに、エネルギーが宿っていて、大きな価値があるのだ。
その気持ちを使って、人生を創造しなさい。
その先にあなたの本当の幸福がある。
気持ちのない幸福は表面的な幸福だ。
気持ちを他人からの評価や、社会での成果に重ねるだけでなく、あなた自身がどう感じるかで判断できるといいね。
その時に、本当の充実感と本当の納得感があり、本当の幸せを感じられるのだからね。」
いやぁ~、サラッと言っているけど深いなぁ…。
僕の感覚では、まだ多くの人にとって簡単に他人の意見や社会的な評価から気持ちが自由になれるとは思えないんだよなぁ…。
まぁこう思うってことは、つまり僕自身もまだ縛られている部分があるんだろうね(;^ω^A
本当に自信があったら、丁寧に根気よく人様に伝えられるはずだもんね。
あるじ「さよう。だからハッキリと言っているのだ。
お前に対してもな。
日本人は特に『和をもって尊しとなす』心のあり方が根底に流れている民族だ。
だから、他人の意見に逆らってでも自分の気持ちを優先することに抵抗があるのだな。
謙虚さは美徳だが、その美徳が行きすぎると大切な自分の気持ちに知らず知らずフタをすることになる。
その原因は潜在的な他者への恐れかもしれないし、優劣を意識するこれまでの在り方が影響しているかもしれない。
しかし、本当の『和』とは気を使い合う関係ではないはずだ。
お互いの気持ちを尊重し合い、正直に表現し合うのが本当の『和』ではないだろうか。
その時に、まずしっかりと自分の気持ちを理解している必要があるよね。
わかるかい、つまり君の気持には全体の『和』に欠かせないエッセンスがあるのだよ。
それを開いて、表現すること自体が実は全体への奉仕なのだ。」
なるほど…∑(゚Д゚;)
確かに魂の奥には大きな『調和の力』があるらしいので、それを表現すること自体が『和』を発することであって奉仕なのでしょうね。
しかし、多くの人が自分の気持ちを大切にせずに、周囲の意見や社会的な決まりごとに自分を重ねている中で、自分の気持ちを自由に表現していくというのは、ハードルが高い場合もありませんか?
あるじ「確かにそうだ。
しかし、その環境を『心』で落ち着いて受け止めることができた時に、『自分はどうすべきか』を自然と表現できるようになるものなのだよ。」
…ああ、つまりあまりにも自分の気持ちと周囲の人達のあり方が違う場合は、「無理に表現しなくてもいい」と感覚的にわかるわけですね。
あるじ「さよう。
楽しみながら、周囲の人達の心の成長のペースに合わせて、言うべきことを言えばいいし、言う必要もないかもしれない。
そして、大切なのは自分の気持ちを大切に生きていれば、その人は『自己肯定的な雰囲気』を発し始める。
その雰囲気は知らず知らず周囲の人達に伝わり、肯定的な影響を与える。
例えば、それを受け取った人達も自然と自分の気持ちを大切にできるようになったりね。
つまり、これがお前が言う『素の心のままで波動が高くなっていく』とはこういういうことだね。」
おお~、そういうことですかぁ。
つまり、あまり波動を高めようとしたり、明るく楽しい生き方を頑張ろうとせずとも、普段から自分の気持ちをよく感じて、大切にしてあげていればそれだけでいいと
あとは自然な気持ちの流れの中で、言葉が出てきたら言えばいいし、出なかったらそれはそれで調和ということか
それに、もし仮に周囲がその気持ちに共感してくれない人達ばかりだったとしても、無理に伝える必要なはくて、自分の気持ちを自分の中で大切にしているだけで『自己肯定的な雰囲気』が高まってくる…。
…つまり、これが『波動が高くなる』ということなのですね!∑(゚Д゚)
あるじ「そういうことだ。
実にシンプルだろう。
自分の気持ちは自分の気持ちとして大切にする。
そして、本当にそれができるようになると、自然と相手の気持ちも大切にできるようになる。
自分の気持ち以上に、何か外界のことや、特定の言葉、概念に捕われているとそれができんのだ。
それゆえに、衝突やすれ違いが起こることもある。
だが、『自分の気持ちは自分の気持ち』、『他人の気持ちは他人の気持ち』であって、共感という形で響かせ合うことがあっても、まったく一緒にすることはできない。
それをこちらから強制することも、相手に従属することも本当はできんのだよ。
それを、無理にやろうとするから、自分の本当の気持ちにフタをすることになるわけだ。」
ああ~、これは深いなぁ~(´Д`)
思ったよりも、よりシンプルでズバッと深い内容になりましたねぇ。
うーん、改めて自分を感じると、といかにこれまで自分の気持ちにフタをしてきたか感じられます(´ω`)
これを機に、この部分についてもしっかり内観してみようかな…(。-ω-。)
ある程度はできてるつもりだけど、もっと奥深い気持ちをストレートに出せたら、人生楽しくなりそうだからね(^^)
あるじ「まぁ、そういうことだ。
これからは、お前も含めて皆の気持ちで世界が変わっていくのだ。
その気持ちの奥に、すでに奉仕の種は宿っている。
もっと言えば、そなた達は生きているだけで奉仕できているのだ。
まずは、心と体にそう伝えてあげることから始めてみてはどうだろうか。
『自分はそのままで奉仕できている』とな。
それによって得られる安心感が、気持ちの反応をわかりやすくしてくれるだろう。
どうか、あなた自身の幸せのためにも自分の気持ちによく耳を澄まし、よくねぎらい、大切にしてあげてほしい。
聞いてくれてありがとう。
今日は久しぶりに、よい内容を届けられてよかったよ。」
いやぁ~、あるじ、ありがとうございましたm(_ _)m
シンプルだけど深い内容でしたぁ~
特にいろいろな人間関係にチャレンジしている方は、このメッセージはハードル高く感じるかもしれません。
僕の場合、あるじの話を聞いているだけでちょっと内面がうずいてたのですが、これは、まだまだ僕の潜在意識に気持ちにフタをしてきた部分が残ってるんだなぁって感じています(*´Д`)=з
とりあえず、あるじの言うとおり『自分はそのままで奉仕できている』という言葉から、自分に染み込ませてあげようと思います(*´Д`*)
その先に、もっと自由に自分の気持ちを表現できるようになれたら、すごく楽しい人生になりそうです(^^)
よかったら、共にじっくりとまいりましょうね
ご覧くださりまして、ありがとございました