前回の記事 をアップした翌日、僕が普段あまり使っていないGmailのアドレスの方に、英文の短いメールが来ました
簡単に和訳するとこんな内容でした。
『私は自分の人生に希望を失いました。
あなたはどうしてそれが持てるのですか?いったいなぜ?』
ほんの3行の文章なのですが、結構衝撃でしたね~∑(゚Д゚)
最初は、『ブログの読者さんからのご質問なのかな?』と思ったのですが、公表してないアドレスですし、あまり知っている人もいないはずなので、それはないなぁと思いました。
お相手のメールアドレスには、外国人女性のお名前らしき綴りも確認できましたが、まったく知らない人です(;^ω^A
そもそも外人さんに知り合いがいませんし、おそらく間違いメールなのだと思いました(´ω`)
(その後、メールの返信はしませんでしたが、間違って送ったであろう方の魂さんとはお話しさせて頂き、魂さんには希望を感じて頂くことができました。
ただ、肉体を持った人間としてのご本人がどこまでその希望を感じて下さるかは不明です(^^;))
魂でその方とお話しし、それで一件落着という気持ちもあったのですが、心の奥の方で『なんだかなぁ~』というモヤモヤした感覚も残りました。
というのも、僕の記事でちょうど『未来に希望を持とう』という前向きな内容を書いた直後のことだったので…(´Д`)
僕が知らないだけで、世界中には希望を持ちたくても持てない人もまだまだたくさんいる…、そんな現実に直面させられた気がしました(´ω`)
そして、おそらくこの出来事には、『そのことに気付いてほしい』という大いなる存在(神、または自分自身)からのメッセージも含まれていたのではないかなぁと感じました
苦しい時、絶望的な気持ちになった時に『どうして希望が持てるの?』と、問いかけたくなる気持ち…、確かに痛いほどわかります。
そこで今日は、メリクルさんに、そんな時にどんな風に対処すべきか、どんなふうに希望を持つことができるのか聞いてみたいと思います(`・ω・´)ゞ
メリクルさん、よろしくお願いします☆
メリクルさん「どうも。
皆さん、お元気ですか。
今日は皆さんにどんな風に希望を持つべきか、また希望をどんな風に感じるべきかについてお伝えしたいと思います。
苦しい時、辛い時、そんな時は誰にでもあることです。
以前にもお伝えしました通り、人間として生きるということは、そのまま苦しみを味わうことでもあるのです。
そんな中で、皆さんは大きな大きな希望そのものでもあります。
私から見て、本当に愛おしいほどに、皆さんは希望そのものです。
誰一人、その美しさ、素晴らしさから外れる人はいません。
では、それはどういうことでしょう?
皆さんの心、胸に宿る魂には大きな大きな輝きが宿されています。
それは意識的に感じなくても、ただただ皆さんが思うままに生きている時に、輝くものです。
楽しいと思った時、充実した時、そういう時はあっという間に過ぎゆくもので、不思議と記憶に残らないことが多いでしょう。
なぜならば、それこそがあるがままのあなたであり、あなたの本質そのものを表現している状態だからです。
エネルギーが流れるままに表現し、楽しみ、充実しているのであれば、それはエネルギーを滞留させることなく、あっという間に過ぎゆく経験となるでしょう。
逆にいつまでも記憶に残り、いつまでも自分を縛りつける経験は、自分の中にエネルギーを滞留させ、自分の本質にフタをする感情と記憶であると言えるでしょう。
ですが、人間として生きる以上、ある程度自分を縛る必要も出てきます。
なぜならば多くの場合、心の奥には満たされたい想いや、愛されたい想い、不満をぶつけたい想いなどが横たわっているものだからです。
それは、今の世ではごく当たり前のことです。
ただその原因となると、必ずしも今世だけでなく、また自分だけでなく、過去世や家族など、多くの原因とも繋がっている場合が多いのです。
これは複雑で、多くの場合、一つ一つ丁寧に、大切に見つめられるべきことでしょう。
ですから、時に人として生きていると、自分本来の輝き、素晴らしさ、希望というものが見えなくなるのですね。
本当は満たされたい想い、愛されたい想いを受け止めて、満たしてあげる人間文化の形成が理想です。
ですが、今はまだそれが無いが故に、多くの大人もその様な気持ちを抱えたまま成長することになり、子供も徐々にその様な気持ちを抱えることが多いのです。
それはけして悪いことではなく、皆さんが集団で受け入れることを同意した負荷とも言えるでしょう。
特にボランティアの気持ちが強い魂ほど、人生を通して受け入れる負荷も大きくなります。
愛の深い魂ほどに、苦しい目にあったり、困難が大きいのはそういう理由もあります。
ここで大切なのは、大人になると、多くの人の意識が広がり、自分を客観的に見つめ、心を癒し、感情を開放していくことができる様になるということです。
ですからね、自分にもし『希望が無い』と思うのでしたら、『そう思い込んでいる自分』に気付きましょう。
人は何かに執着した時…、例えば特定の成果を得ることに希望を持ち、それが得られなかった場合、絶望することもあります。
ですが、もう一度広い視点で見つめて見てほしいのです。
なぜなら、その様な経験自体、心を磨き、人間性を高める上で大きなプラスになることも多いからです。
そして、自分には希望が無いということは私達から見てあり得ないことです。
なぜならば、皆さんの胸の奥に宿る輝きは例外なく無限であり、例外なく希望に満ち溢れているからです。
ただ、皆さんがそれを否定するか、肯定するか、それによってそれを感じられるか、感じられないかの違いがあるにすぎません。
全ての人に希望はあるのです…。
ですから『自分の中にも無限に希望はある』ということ…。
どうか、そのことを覚えておいて下さい。
もし、あなたが『自分には希望が無い』と思った時がりましたら、一度ゆっくりと呼吸し、できるだけリラックスしてみましょう。
そして、胸に手を当てて、こんな風に想ってみましょう。
『私の胸には、無限の希望が輝いている。私は私を信頼する。』
何度もゆっくりと、胸を感じながら唱えていくと、あなたの胸の奥があたたかく感じたり、逆に痛く感じたりするかもしれません。
痛く感じる場合も、しっかりその痛みを感じてあげましょう。
それは、今まで自分の希望を否定してきた…または否定されてきたエネルギーがうずいているからかもしれません。
ですから、しっかり味わい、その痛みを持った過去の自分はどんな気持ちだったかもう一度、ちゃんと感じてあげることです。
そうすると、少しずつですが、あなたの胸の奥にある光へと、痛みの元となる感情体が光に溶けるように吸収され、痛み自体も引いていくでしょう。
もしかすると、このプロセスは根気が必要な場合もあるでしょう。
ですが、どうかあきらめずに続けて見て下さい。
誰の胸にも、無限なる希望はあるのですから。
大切なのは、信じること、根気を持つことです。
もし、その痛みをわかってもらえる人がそばにいるのでしたら、その人はとても幸運です。
ほとんどの人が、自分の絶望を、自分で味わい、解消するしかないでしょう。
残念ですが、今の地球はまだそういう状況なのです。
でも、気を落すことはありません。
このブログを読んでいるあなたは、自分のどんな感情も、自分で味わい、自分で希望に変えられると知りました。
そして、そもそも胸に宿る希望とは一体なんでしょう。
それはあなたの魂であり、そしてこの星に生まれてきた想いそのものであり、輝きそのもの、命そのものです。
全ての魂が、この星に善意を持って生まれて来ています。
善意にはさまざまな形があり、個性によってその表現は異なりますが、あらゆる人が善意を持って生まれてきているのです。
私にはそれがしっかりと見えています。
どんな悪人と言われている人ですら、ただただ希望が見えなくなって、迷っただけだということがわかるのです。
胸に宿る希望は、皆さんの人生をより大きな幸せへと導きます。
より大きな調和や、より大きな安らぎ、より大きな繁栄へと自然と連れていってくれるのです。
ですから、自分の胸に宿る希望を信じ、そして素直に自分を表現しましょう。
自分が心から望むことに引け目を感じることはありません。
最初は周囲に理解されないことだとしても、あなたが心の底から願うことは、いずれ多くの人にも共感を得ることです。
魂は時の大きな希望を開花させる前に、たくさんの困難を計画します。
なぜならば、それによって心に優しさを持ち、秀でることに捕われない柔軟さを得ることができるからです。
困難なく成功した場合、自分以外の考え方を尊重する機会が少なくなり、他人の痛みに気付けないまま大人になることも多い様です。
それは『何でも思い通りに行く』のがこの世界ではなく、『周囲と共存し、互いに活かし合う』のがこの世界の真理であることを、自分なりに体感的に学ぶためのプロセスでもあります。
もちろん、個人の幸福感、安らぎ、充実感も大切です。
ですが、皆さんは限られた物質の世界に住んでいます。
地球という星は一つであり、物質の量、エネルギーの量、空間、あらゆることに制限がある世界です。
個人としての幸福を深めるのと同じくらい、そのことを踏まえることはとても大切なことです。
互いの素晴らしさを尊重し、互いに活かし合うために知恵を絞り、互いに共存し合うために心を伝え合うこと…、それこそが私が見る人間としての本来の道なのです。
もちろん、それをすぐにやって下さいとは言いません。
ゆっくりと、自分を育み、そしてそれがいつでもできる自分は、すでに胸の中にいると希望を持ちましょう。
一つ一つ過去のベールを癒し、本来の自分、希望に溢れる自分が活かされてくると信じましょう。
それによって、少しずつ人生に輝きが溢れ、希望が現実的にも見えてくるのです。
自分を愛しましょう。
それは、まず自分が愛であると知ることから始まります。
自分は愛であると知り、胸に宿る無限の愛を信じましょう。
あなたが活きる時に、周囲の人も活かされていきます。
心の時代が始まります。
希望はあります。
いつも、あなたの胸の奥に。」
うわぁ~メリクルさん、ロングメッセージありがとうございました~(*´Д`*)
会話形式になるかなぁと思っていたのですが、のっけから読者様宛てのメッセージでしたね。
そうなんですよねぇ、やはり希望は胸の中にある、そして僕たち自身が希望そのものなのですね
確かに、希望に溢れていた子供の頃は、不思議と記憶に残らず、毎日がとにかく楽しかったことだけはなんとなく覚えています
自分の中心である心から溢れるままに生きていると、自分を客観的に見ることが無いので、記憶に残らないのかもしれませんね(^^)
大人になると、精神が複雑になる分、客観視が強くなっていく気もします。
でも子供の当時は、すごく楽しかった分、罪悪感を持った時や、怖れを感じた記憶もどこか強い感情を伴って残っているのかもしれないなぁと思いました。
僕もまだ、そういう過去の感情は残っていそうですが、じっくりと溶かしていこうと思います
そして、いずれは希望に溢れたピッカピカの大人に”なろう”、”そうなれる”と信じて生きていこうと思います(`ω´)
ご覧くださりまして、ありがとうございました