国道425号線(三重県尾鷲~和歌山県御坊)WIKI
皆さま、いかがお過ごしでしょうか。
このゴールデンウィーク、特別、どこかに出かけるような用事もなく、昔はゴールデンウィークってどうやって過ごしていたんだろう!?と思い出してみると、子供が小さかったころは結構、あっちこっちにお出かけはしていた記憶がありますが、それも小学校までで、それ以降は、まあ、行っても近場ばかりというような感じでした。
そんななか、
「ああ、そういえば国道425号を走ってきて、深夜というか早朝4時に帰ってきたのもゴールデンウィークだったなあ」
ということを思い出して、パソコンのデータを漁っていたら、前のパソコンからの移行データのなかに写真を発見。
てなわけで、思い出しながらの記事を作成してみます。
記憶があやふやこともありますし、その当時はブログもやっておりませんでしたので、写真も心に残るようなポイントでの数枚しか撮影もしてありませんが、それはそれで楽しい思いでとなっております。
そもそも国道425号というのは・・・・・
みち行く人がいたら「ここ、本当に国道なんですか?」と聞きたくなるような、そこらへんの田舎の2メートル程度の幅のかなり悲惨な道路が延々と続き、しょっちゅう、土砂崩れやがけ崩れ、路肩崩壊などで年中、どこかで通行止めが発生しているようなものを、この道路趣味人の間で
酷道(こくどう)
と、愛情をこめてそう呼ばれております。
国道1号は東京の日本橋(にほんばし)から大阪までの主要国道というように、おおむね1ケタの国道は重要幹線の道路となっており、だいたい2桁の国道までは、人とモノの流れを重視する、なくてはならない国道が多いです。
3桁の国道になりますと、やや重要度は2桁に比べて落ちますが、それも都市と都市を結ぶ、重要な位置づけになっているものが多いです。
しかし、その3桁でも400番台になってきますと、存在も「?」になってくるものも出てきます。
いやいや、地域の生活道路を「国」の関与を連想させる国道を持ってくることで、災害発生時等のインフラの道路としてなど、役割はいくつもあるのは判りますが、
趣味的には『!?』
というのが400番台の国道のゾーンといえると思います。
これらを酷道といいます。
また、類似的なものとしてこれらの県道版、市道、町道を「険道」「死道」「超道」などと呼びます。
で、その酷道のなかでも王様級の3大酷道と呼ばれている
国道418号
国道425号
国道439号
というのがあります。
このなかでも、俗に最強で最凶で最狂なのが418号といわれておりますが、今日は425号をご紹介。
418号(長野~岐阜~福井)もこの前後にクリアをしていますので、そのうちご紹介します。439号(通称ヨサク)の四国横断国道は部分的に走ったことがありますが、まだ走破というれべるではなく、そのうち、こちらはきちんとやっつけたいと思います。
さてさて、地図的に国道425号を表示すると紀伊半島を横断する国道であることがわかります ↓↓
起点が中学校の教科書では年間の降水量が日本一の「尾鷲」(おわせ)であり、そこから心が折れそうにもなるような、細いクネクネしたガードレールも無いような道を通って、和歌山県の御坊(ごぼう)まで通じている道です。
ちょっと拡大です ↓↓
尾鷲から御坊までのこの国道の距離は、公称191.9キロだそうです。↓↓
東京を基準の考えますと、おおそよ静岡あたりになると思いますが、そこまでの道路が大問題で、時速60キロや70キロ出せる道路ではなく、良くて40キロ、たいていは30キロ程度でしか走れないようなクネクネの細い道だったりします。しかも山越え多数のアップダウンありです。
スキモノにはたまらない状況ですよ・・・・
最初に撮影した写真はこちらです ↓↓
これは国道42号(紀伊半島を海沿いに外周する重要国道)の交差点から425号に入ってすぐのところで、最初に見つけた「おにぎり」(国道表示の看板:その標識の形から「おにぎり」と呼ばれています)を見つけて、撮影した記憶があります。
ちなみに、この425号線のうち、奈良県までの区間はこのときは2回目の走行でした。1回目のときは「行者還」(ぎょうしゃかえり)の峠(トンネル)に行きたくて、尾鷲のサイドから425号でアプローチをしていました。(2006年:これもそのうち公開します)
で、さっそく、意気揚々とノロノロと走り出します。
次に撮影したのはクチスボダムのそばの交差点です ↓↓
当時は朝、食事してから家を出てゆっくりしながら下道でドライブを楽しみながらやってきたので、尾鷲に入ったのが昼過ぎでした。
ですので、このクチスボダムの交差点の通過時刻は14時07分とのメモがあります。
このときは早くかえってテレビでも見ようっと!!とか考えていました。
そもそも天下の国道425号に挑むのにこんな「遅い時間」からアタックするなんて、バカげていると思えますが、この時点ではイケイケでした。のちに後悔するのですが....
場所はこの辺です ↓↓
次にやってきたのが坂本ダムそばの橋のそばです(14時44分)↓↓
地図的にはこの辺なのですが、行きたいところがあって、国道425号線を一旦はずれます。写真ではこの橋を渡るのが425号ですが、写真向かって右の道に向かうのです。
こんな感じの位置関係です ↓↓
てなわえで、さあ、やってきました。この廃屋がお目当てなのです。
言うまでもないことですが、ここは廃村であり、すでに無人地帯となっております。
廃村というよりは、数軒集まっただけですので、廃集落と言ったほうが良いですね↓↓
地図ではこの赤線の場所を見上げるようにして撮影しています ↓↓
で、見たかったのがこちらの建物になります。(14時51分到着)↓↓
これ、実はこの走るちょっと前の2005年まで現役だった郵便局の跡地なのです。
この郵便局、「知る人ぞ知る」という、そのスジではかなり有名な郵便局で
東の川簡易郵便局
という郵便局(簡易郵便局)なのです。
世の中にはいろんなマニアがいるわけです。拙者のような「高島屋マニア」もいますが、全国の郵便局をまわるというマニアも結構おりまして、旅行貯金マニアと呼ばれる人もいます。
どういうマニアなのかというと、全国を旅して郵便局に立ち寄り、そこで100円とか1000円とか、自分で決めた額を貯金していくというもの。
国盗りゲームのような感覚で、長い時間や年月を掛けて全国津々浦々の郵便局を攻めていく、という「修行系」あるいは「お遍路さん系」にカテゴライズされるマニアな方々です。
で、そんなマニアの間では、もう
聖地
として扱われているのが、ここ、東の川簡易郵便局なのです。
探していたらwikiにも記述がありましたので<こちら>もご参照ください ↓↓
聖地とされる理由はいろいろあるようですが、
・完全な無人地帯になぜか存在する郵便局であること
・ここに至るアクセスが、かの「酷道425号線」であり命がけで行くこと
になること
・完全な山奥であり、かつ地形上の問題もあって携帯電話圏外エリアに
してNTT一般固定電話ですら回線敷設不能な場所につき、大変珍し
いオフラインの郵便局だったこと
富士山の山頂にも郵便局があることは知られておりますが、そこは人がたくさん来るわけで、それこそ利用者も多数いますが、まったくの無人地帯に誰の利用を想定して今だに(当時)営業をしているのか!?という、存在そのものが疑問だらけという郵便局なのです。
存在だけは拙者もかねてより知っておりましたが、このときには閉局したことももちろんしっており、「現役時代に来ておけばよかった」と思ったものでした。
ちなみに「オフライン郵便局」とは、原則、オンラインで北海道から沖縄まで、全国津々浦々の離島までもくまなくカバーしている郵便局のオンライン回線のうち、その閉局の当時(2005年)の段階で、全国で2局しかない「オンラインで繋がっていない郵便局」ということを指します。
ここは衛星回線ですら、電波が安定しない地域(←本当にスゲーところ)ということで、データアクセスに関してはまったく種類を問わず、不能なエリアとなっている地域ということでした。
ですので、ここで旅行貯金をするということは、カーボン紙を使用した手書きを多く用いたまったくの手作業による取扱で行うものであり、オンライン処理に慣れきっている現代の貯金事情で考えますと、オンライン化される前の昭和の高度経済成長期、もしくはその前のころからのまったく変わっていない事務処理を間近で見られるのがここだということ。
ちなみに、その当時のもう一つのオフライン郵便局は愛知県犬山市にあります観光施設「明治村」に設置された郵便局で、そもそも、成り立ちが全然違いますので、
東の川郵便局こそが聖地
とされる所以でもあるわけです。
ちなみに営業時間は8時30分から14時30分までだったようで、ここを運営していた局長さん(代行)も当時、新聞かなにかの記事でバイクで片道30分ほど掛けて通っている方とのこと。
晴れた日ならば良いですが。雨や雪、台風のときなど通勤そのもの自体が「命がけ」でしたね。
拙者も現役のときに行ってみたかったと当時から思っていました・・・・
ちなみに<こちら>で検索しますといろいろ出てきますが、<こちら>は現役時代のレポートがあって、読んでいてもとても楽しいですし興味深いです.....。
さて、坂本ダムの橋のところまで戻り、国道425号線に復帰します。下北山村のキャンプ場の案内をメインにした観光案内図、という感じです。(15時35分到着)↓↓
場所はこの辺で、とても山深いエリアです。やたらダムや貯水池があります。↓↓
さらに車を進めます。さきほどの案内図付近で国道169号と合流しておりましたが、今度は169号と分岐する交差点までやってきました。(15時39分) ↓↓
こちらがその交差点です。十津川(とつかわ)方面に向かって国道425号をトラバースします↓↓
地図的には赤の矢印のあたりです。ちなみに、青の矢印はさきほどの案内板のところです ↓↓
またも、山岳国道(酷道)らしく、ウネウネしながら標高をどんどん上げだしました ↓↓
すでに目線がほかの山々の頂レベルにまで標高を上げてきているのがわかります ↓↓
そしてかつては峠だったであろう場所を、トンネルでショートカットする坑口が見えてきました。(16時10分)↓↓
場所はだいたいこの辺(赤い矢印)です ↓↓
先を急ぐのでトンネルを一気に走り抜けます。抜けたところで、ガードレールも無い、道路の上から下界をのぞけば、これから走るであろう国道425号が見えました ↓↓
こんな感じです。クネクネと降りて行く感じです ↓↓
ちなみに、トンネルを抜けますとそこから十津川村に入ることになります。秘境のあの十津川村ですよ.....↓↓
地図的にはこの辺です。青の矢印はさきほどのトンネルの入り口の方です ↓↓
さてさて、なかなか距離もかせげず、写真をのんびりと撮影している場合ではなくなってきました。
先を急ぎます・・・・・
次に拙者が写真を撮影したのがこの交差点になります。↓↓
矢印の太さが168号の半分という425号の表示に、その先の恐ろしさを感じずにはおれません・・・・('A`)
ちなみにここは十津川村の中心部を抜けてきて、我が425号に合流してきた国道168号でしたが、お別れの交差点の撮影でした。
場所はこの辺です ↓↓
その交差点がこちらですあ、左に向かって橋を渡るのが国道168号で、和歌山県の新宮(しんぐう)方面に向かいます。右がわれらの国道425号線です(17時08分) ↓↓
全体で見て、赤の矢印が現在地点ですが、ちょうどこの辺で、全行程の半分という状態です。↓↓
ここまで尾鷲から3時間半掛かっている状態です。やばい。明るいうちの御坊までの通り抜けは絶望になりました。
だって、これからこそが、一層の険しさで襲ってくる国道425号線ですので・・・・・
ここから、知っている人もそっち系の方でしたら知っているかもな『牛廻り越え』が待っています・・・・('A`)
これがまた、険しくて危ないんだよね・・・・('A`)
で、暗くなったのと写真を撮影する余裕も無くなって、酷いウネウネの細道である牛廻り越えをして龍神エリアにまでようやくたどり着きました。
その場所が国道371号線との合流です。少しの間、我ら国道425号線は371号線と運命を共にするわけです。↓↓
ここは左に曲がります・・・・
地図でいいますと、場所はこの辺になります(18時37分) ↓↓
牛廻り越えに約1時間半も格闘していたようですね。改めてこれを打っている今、考えてしまいます。
もう、目の前には真っ暗で車のライトしか灯りがない、細いウネウネの道。すれ違う車は一切無し。
景色も見えないし、ドライブとしては楽しくもなんとも無いもので、目の前にカーブがあればそれに合わせて作業のようにハンドルを淡々と切っていただけの運転でした。
1時間半か。
たしかにあのとき、辛かったなぁ・・・・・
ちなみにですが・・・・ようやくここで、全行程の3分の2が終了です。
って、まだ3分の1があるのかよ('A`)
胸焼けしそうでした......(そのとき、マジ、そう思ったのを覚えています....)
次の写真は国道371号との分岐交差点の写真です。(18時52分)↓↓
もはや、その途中の写真を撮ろうなどという気力もなくなっていたみたいです・・・・・
ちなみにこの道路ガイドですが、我らの国道425号が太く、りりしく描かれており、分岐していく国道371号がその太さの3分の1程度なのをみて、
ああ、ここからは国道425号もしっかりしたアスファルトの2車線の道路になるんだな
とほっとしたのを覚えております。ヨカッタヨカッタってね。
まあ、その、なんだ、すぐにそんな気持ちは裏切られることになるのですが・・・・
地図的には現在、この辺にいるわけです ↓↓
ちょうどこのあたりで、たまたまだと思いますが、集落もあって、開いていたガソリンスタンド(たしかコスモ石油)があって、入れておきました。入れれるときに入れてないと、山奥でのガス欠ほど恐ろしいものはありませんので・・・・・
上の地図をみても、あとは海の方に走っていくだけだから、高いところから低い平野部への楽な走行だろうと思った方。
甘いっ!!
もう、写真は撮る気力もうせておりましたが、このあと終点の御坊まで、3つか4つほどヘビーからややヘビーな峠のアップダウンをやりました。
想像してください。
山の中で一切の灯りが無く、漆黒の真っ暗闇の中を走っていくわけですが、そんなところにこれまた山中ならではなのですが、漆黒の闇の中からさらに真っ暗な照明設備もまったく無いポッカリと空いたトンネルがいくつも出てくるわけです。
これが本当に恐ろしいです、トンネル。
バケモノが出そうな雰囲気もあるトンネルばかりでしたが、それ以上に恐かったのは
トンネル内部に動物がたくさんいること
でした。
さすがに熊とかはいなかったですが、どのトンネルにも
コウモリ
タヌキ
鹿
は標準装備でこっちに向かってきたり、イノシシが居たトンネルもありました。
こんなところで動物を轢くのもイヤだし、もう、これはおっかなびっくりで運転しました。
確かに動物たちにとってはトンネルは最高ですからね。車は1日を通してほとんど来ないし、トンネル内部のほうがトンネルの外よりあたたかいしね。(ゴールデンウィークといっても山ですのでまだ寒い)
で、ようやく、町の明かりも見えて、ゴールが近づいてきました・・・・
ここはJRの紀勢本線のガードをくぐるところでの写真です。なんか工事中で迂回せよ、という案内ですが、この案内板を見て
ああ、生きて425号をクリアできそうだ、と安堵したのをはっきりと覚えております。(20時24分)↓↓
正確に国道425号をトラバースしたかったのですが、これは仕方ないので迂回路で向かうことにしました。
で、工事区間を抜けて、425号の本線に復帰しそのままゴールへと歩みを進めます。
とうとう、終点を表示する道路の案内板がでました。国道425号線は国道42号線との交差点が終点なのです ↓↓
はい、この向こうの今、青く光っている信号の交差点がゴールです。↓↓
写真を撮影して、万感の思いを抱きながら交差点に新入。ゴールしました!!
メモによれば20時40分という時間でした。
最後の地図はこんな感じです。↓↓
このあと、この御坊の付近のコンビニで休憩して、おにぎりとコーラで祝杯をあげました。
走破するのに要した時間はざっと、7時間掛かりました。
平均時速で言うと・・・・平均時速27キロだったようです・・・・
たしかにそんなものかもしれません。スピードはまるで出せない道です。信号は殆どありませんので、最大でも40キロ程度のスピードでしたので、こんなものですね・・・・
で、嫁はんからは泊まってきてもいいよ、と言われていましたが、ビジネスホテルに泊まるにしても和歌山まで行かないといけないし、ゴールデンウィークで明日も休みということでしたので、仮眠を取りながらも岐阜に帰ることにしました。
御坊を21時頃に出発。
今なら高速も御坊まで届いていますが、この2007年の当時は和歌山か有田(ありだ)の辺までしかきてなくて、どっちにしろ和歌山方面に向かう必要があって走らせました。
和歌山方面に向かって、橋本を経由して名阪国道(国道25号)に出て、亀山経由で東名阪で桑名インターまで。
桑名インターから国道258号線で大垣方面に走行して海津のあたりから長良川の堤防に出て、そのまま岐阜羽島方面に向かい、やがては岐阜へと進路をとり、帰宅しました。
帰宅したのが早朝でまだ暗かったものの、朝の4時でした。
オールナイトニッポンを眠気ざましに聞きながら運転したのは覚えています。
で、終わった午前3時の時点で桑名インターを出たところだったはず。なので、桑名のインターを越えてから約1時間で岐阜まで帰ってきたようで・・・・
たしかにスピードは出していたのは覚えています。
でも、本当にしんどいツアーでした。
...'`,、('∀`) '`,、
※写真はすべて2007年5月5日に撮影。当時のメモをみつつ、記憶を振り返りながら起こしました。