そこそこ長い時間を生きてきた実感として、思っていることがある。それがタイトルでもある「二面性」だ。
どんな人間、たとえばそれが歴史に残る大犯罪者でも、それから俺は信じきれていないのだが、いわゆる聖人君子のような奴であっても、きっと表と裏があるものなのだと思う。
平たく言えば、大悪人だって100%すべてが悪いとこばかりではないだろうし、神や仏のような人にも欠点があるものだと思っている。
それを実証するのが、芥川龍之介の「蜘蛛の糸」であったり、サリンを地下鉄にばらまいた某新興宗教の教祖が若かりし頃に言ったとされる「(棚の前に置かれたちゃぶ台を『祭壇』と呼んでいたことについて)形は重要じゃない。心が重要なんだ。私にとっては。」であろう。また、その人は蚊に刺されて痒くても、蚊を殺さなかったという。それは、一寸の虫にも五分の魂、ということだったらしい。
彼は大悪人として処刑されたが、それでもこの心構えだけは正しく、同時にとても大切なことだと素直に思うのである。
そして、二面性について考えるとき、いつも自分の至らなさについて思いが及ぶのだ。
スケールは著しく異なるものの、平凡な俺なりに小さい二面性をもっているものだ。
お酒を飲みすぎてはいけない、飲まないのは無理でも減らす、と言ったその日からしこたま飲んでしまい、挙句「俺は酒で死ぬことは覚悟してる」なんてのたまう。
どれだけ嫌いな部分が目についても、結局は自分が好きになった以上、肯定的に受け止めるべきだと日々考えている。そして後輩や悩んでいる仲間にそう伝えている。にもかかわらず、たったひとつでも許せないことがあると、すぐにそれを剥き出しにしてしまう。
子供っぽい、めんどくさい。そう言われても何も反論できないほど、小さく情けない出来事を積み重ねてきたのだ。
ただ、開き直りかもしれないけれど、それはそれとして許容してあげるべきなのかもしれない、とも思っている。誰にでも、聖人君子のような人にでも、それから先程挙げた大悪人にでも、それぞれ二面性があるのだ。俺のような平々凡々な一般人にもあって当然ではないか、と。
そして、以前にも書いたことがあるかもしれないが、そんなダメな自分もせめて自分くらいは認めてあげなければならないのではないか、と思っているのである。
俺はまったく素晴らしい人間ではない。そんなことは分かりきっている。でも同時に、だいたいみんなそうなのだ。
1998年だっただろうか。B'zのボーカリストである稲葉浩志のソロシングルに「CHAIN」という曲があり、その中で彼は言っている。
『あの人も この人も 大したもんだけど大したことないや』
みんな大したものなのだ。
そして、みんなが大したものだとすれば、逆説的にみんな大したことないものなのだ。
俺は来年も大したことなく生きる。それが自分である以上、仕方のないことだ。
問題はひとつ。
自分が納得できるか否か、なのだ。
そのためにも二面性を許容すべきである。自分のそれも、他人のそれも。