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TAKの部屋

ムラムラくんという、よく分からない人がよく分からないことを書くブログです。

少し遅れたが、このブログを書いている日から3日ほど前に、プロ野球選手のイチローが現役引退を発表した。

イチローは言うまでもなく大スターであり、野球界に限らずスポーツ選手で彼を超える人気、知名度、実力を兼ね備えた選手はもう出てこないでのはないか、と思わせる選手だった。俺は、現代はスターが生まれにくい時代であると考えているので、あながち間違っていないのではないか、と思っている。

中学時代に野球を経験している俺ではあるが、当然イチローのことを技術的に評論することなどできるはずもない。プロの中のプロなのだから当たり前だ。

それでも、ひとつ書きたいことがある。それは、イチローは美しい、ということだ。

芸術にせよスポーツにせよなんにせよ、あるひとつの物事を極めると、自然と美しくなるものだと俺は思っている。逆説的に言うならば、どれほど優れた結果を残していても美しくないものは、まだ極めていないのだと思う。

当然、イチローは美しい。しかし、彼の凄みは、プレーに入る前の動作まで美しい、というところではないだろうか。

皆さんが「イチロー」と聞いてイメージするのは、その独特かつ優れたバットコントロールやレーザービームとまで称された強肩、さらには不可能を可能にするスーパーキャッチなどではなく、きっと打席に入った直後、構えている時のバットを立てた姿なのではないだろうか。

音楽に例えるならば、メロディーが始まる前のイントロダクション。イチローはそこから既に美しいのだ。つまりイチローはプレー中だけではなく、準備段階の時点から極めていたのだ。

そんなことを考えた時に、ふと思った。音楽でも同じことが言えるのではないか、と。

世の中に名曲と称される楽曲は数多ある。ヒット曲が出にくくなった現代においても、きちんと名曲が誕生している。

しかし、その中で「イントロをはっきり思い出せる曲」というのは、いったいいくつくらいあるだろうか。個人の感性、聴き方にもよるので一概には言えないが、それほど多くはないと思う。少なくとも、サビと同じくらいのインパクトを残したイントロとなると、かなり限られると思うのだ。

そんな数少ない名曲が、タイトルに入れた「愛は勝つ」である。作者であるKANが最も敬愛するBilly Joelの「State of Grace」から影響を受けたと思われるイントロは、少なくとも発表当時小学生だった俺や級友たちの誰もが口ずさめた。そして、それは30年近く経った現在でも変わっていないように感じている。

その証拠をひとつ挙げるならば、2005年あたり、KANが初めてBank Bandのフェスに出場した時のこと。そこで愛は勝つのイントロが流れた瞬間、ものすごい大歓声が会場を埋めつくした。後にDVDで確認したら、Bank Bandの主宰者とも言えるMr.Childrenの桜井和寿が、とても驚きつつも嬉しそうなリアクションを見せていた。スタジアムやドーム級の会場を満員にし続ける日本屈指の人気バンドのボーカリストをしてそういう表情にさせてしまうほどだったのだ。

そして個人的には意外なことに、愛は勝つ発表当時の記憶を明確には持たないであろう若いお客さんも含め、会場中の皆が合唱したことにも驚いた。ファンではない人でさえサビだけではなく他の部分の歌詞もなんとなく覚えている、そんな楽曲は極めて少ないだろう。

特に90年代はその傾向が強かったのだが、サビだけが際立って美しく、そしてその部分だけがコマーシャルやドラマの名シーンで繰り返し流れ刷り込まれ、結果的に大ヒット曲となる、そんな楽曲が多かった。だが、愛は勝つは違った。イントロ、サビ、さらにそのあとのAメロ・Bメロ、そのすべてが美しく、ライトリスナーの脳裏に焼き付いたのだ。

そういう意味で、イチローと愛は勝つは似ている、そう思った。打席に入りバットを構え始めた瞬間から彼の芸術はスタートし、投球を確認しバットを振り始め、そのバットがボールを叩き野手の間を抜け、鍛え上げられた細身の体で走り一塁ベースに到達する。そのすべてが、イチローは美しかった。

そしてもうひとつ、イチローの恐ろしいところは、守備でも同じようなことが言えるのだ。打球が自分の元へ飛んでくる、そう分かった瞬間に始まる捕球動作から実際の捕球、さらにはタッチアップを防ぐための送球に至るまで、同じように美しかった。

こんな野球選手はもう二度と出るまい。

野球のイチロー、競馬の武豊、将棋の羽生善治。この3人が俺の青春時代における「天才」の象徴だった。

その中の1人が、ついに現役を引退する。それがとても寂しい。歳をとったことを痛感させられる。

とまれ。イチロー選手、本当にお疲れ様でした。監督にはならない、と明言された以上、きっと本当にその道へは進まないのでしょう。それでも、何らかの形で野球界に貢献してくださるのだと思います。

新しい道でもまた美しく輝いてくれることを、お祈りしております。
昨日の続き。

俺は半年ぶりに東京(というか関東)に戻ってきている。もちろんただの帰省であり、メインの用事は去年亡くなった大叔母(親父の叔母)の遺産放棄の手続きであり、それに付随してせっかくならばと飲み会三昧を予定している。

ところで。

俺は4歳の頃に生まれ故郷である山口から神奈川県川崎市に引っ越してきて、高校の2年間をアイルランドで過ごしたものの基本的には川崎を住まいとし続け、大学2年から約11年間は東京都多摩市に居を構え、その後は埼玉県さいたま市に暮らし、母の体調が悪くなったので川崎に帰った。

つまり、38年の人生のうち32年ほどは川崎を含む関東で暮らしていた。

青春も希望も絶望も、すべて関東で起きた。

だからであろうか。こっちに帰ってくるとセンチメンタルに襲われてしまう。

この記事を書いているまさしく今、俺は司馬遼太郎の「燃えよ剣」を読みながら池袋の居酒屋で独り飲んでいる。

池袋は中学~高校の間によく遊んだ場所だし、燃えよ剣は多摩出身者が主となり構成された組織「新選組」の副長・土方歳三を主人公に据えた小説だ。俺は今、関東にどっぷり浸かっている。

そして、思う。俺の精神的な故郷は山口県だが、肉体的な故郷は関東であるのだと。

道も方角も迷うことがないどころか、悩みすらしない。身体の勝手に動くままに任せれば、間違いなど起きることはない。聞こえてくる、もしくは文字で読む地名も親近感を持つものばかりだ。

愛知に引っ越したことを何一つ後悔はしないけれど、それとは別次元で長く暮らした関東を懐かしく愛おしいものだと感じている。

普段はgloという加熱式タバコを吸っている俺が、関東に戻ってくると紙巻きたばこに戻ってしまう。

元々センチメンタリズムを強く持つ俺であるからそれは当然なのだが、自然と身体がそう動くことに驚いたりしているのだ。

思えば俺は池袋という街が子供の頃から大好きだった。新宿はビジネスの匂いが強すぎるし、渋谷は逆に子供っぽさが消えない。有楽町や神田・秋葉原は娯楽が少ない。池袋は適度に大人で、適度にいかがわしく、言葉にしにくいエネルギーに溢れている街だと感じていた。

今、その池袋で、昔なら絶対に入れなかったであろう老舗大衆居酒屋にいる。値段の問題ではなく、なんとなくの貫禄の問題だ。

俺も歳を取り、どのようなタイプの店でも怖気付くことなく入ることができるようになった。昔憧れた場所が、今では日常的自然な発想の結論地になっている。

土方歳三は京都で過ごした時に、江戸を、武州を、どう思っていたのだろうか。自分が最も必要とされていたのは京での新選組の活動なのだが、それでも精神的な故郷にはなり得ないのだとしたら、やはり郷愁を覚えたのだろうか。それとも、そんなことを考えることすらできないほど、日々に忙殺されていたのだろうか。

確かめることはできないけれど、想像する。会話する。そして、自分に言い聞かせる。土方も普通の人間だ。きっと同じような気持ちを持っていたのだろう。違う部分は、そんな襲い来るセンチメンタリズムを心の奥底に押しこめる意思の強さなのだ、と。

関東にいる時だけ、センチメンタリズムを持つ。それは仕方ない。俺はそんなに精神的に強くないから、持つなと言われても無理だ。でも、それを懐かしむだけではなく、必ず未来に活かす。そのためにどうするかを考える。

そうすれば、きっと関東に帰ってきたことに意味が生まれる。

すべての物事がそうだと思う。いい事も嫌なことも、その先の人生に活かすように考えるべきだ。

まだたった2泊でしかないが、俺は2つ心に強く決めたことがある。あとはそれを実践できるかどうかだけだ。

それが出来なければ、俺の想像によく出てくる土方に笑われてしまうだろう。

そして、きっと周りの仲間や今の推しに迷惑をかけるだろう。

そうならないように、頑張ろうと思う。
久しぶりの更新。

別に書きたいことがなかったわけではないけれど、日々に忙殺されるとこうなってしまうもんですね。

今日(平成31年2月23日)、前の会社を辞めてから初めて、業界のイベントに顔を出した。自分みたいに中途半端に顔を晒していた立場からすると、とても複雑な気持ちだった。

なぜならば、知ってる人に会うのは気まずいけど、誰も覚えていないのも寂しい。そして、現実はきっと後者だ。そうなるのが目に見えていたからだ。だって俺はあくまでも「たまに顔を晒すことのある裏方」だったから。

でも、実際は違った。

応援してくれた人。仲良くしてくれてた人。仕事のお付き合いがあった人。

色んな人たちが優しくしてくれた。あの当時のまま、変わらず接してくれた。

俺がいた雑誌は業界では老舗かつ有名なところだったから、所属している当時は優しくされて当たり前だった。皆、俺の後ろに雑誌の看板が見えていたはずだ。だから身の丈以上に優しくしてくれるんだ。そう思っていた。うぬぼれることはしたくなかった。

でも今は違う。雑誌を辞めたのだからもう関係ない。みんな1人の人間「元ムラムラ」を先入観も雑誌の威光もなく見定める。それでもなお優しくしてもらえるほど、俺は立派な人間ではない。

事実そうなのだから、悲観でも自虐でもなくごく自然にそうなる。そう思っていた。

でも、違った。覚えてくれていた。優しくしてくれた。読者さんも、メーカーさんも。

本当に嬉しかった。

そして楽しかった。

世の中には変わることと変わらないことがある。

業界を取り巻く環境はどんどん変わる。主にマイナス方向に。世間の業界を見る目はどんどん厳しくなる。

でもきっと、そんな偏見に対する業界自体の取り組みは今も昔も変わらない。ギャンブルではなく遊技。そのスタンスを多くの人に理解してもらえるように、あの手この手で努力している。今日行ったイベントなぞは、その典型例のようなものだ。

俺はもう業界を離れた人間だから、何かアクションを起こすことはできないけれど、ただただ努力が正当に評価されるように祈り続けたいと思った。

そしてそれも、俺が業界にいる時から何一つ変わらないことだったりする。

娯楽として、楽しく遊べるように。

傍から祈ることしかできないけれど、心の底からそうなるように願っている。