明日発売の暗黒玉遊び業界老舗雑誌に、先日早世してしまった伊東氏の追悼特集が掲載される。故人に託された自伝的小説とともに、氏が初登場した94年の原稿も再収録されているので、ぜひご一読頂きたい。俺は既に何度も読み直したのだが、ハッと思い起こされることがあった。それは初登場時の原稿。詳しくは雑誌を読んで頂きたいのだが、その中には氏のパチプロとしての矜持が、色褪せることなく詰まっている。それを少なくとも19年間、氏は守った。その事実に直面し改めて驚愕させられた。
パチプロというただのクズがなぜ多くの読者を惹きつけるのか。その答えがそこにはある。
以下、俺の思い出話。
俺がパチンコ・パチスロで生活していた時、自分の中にいくつかのルールがあった。それを守ることが何よりも――そう、勝つことよりも圧倒的に重要だった。
時は4号機全盛。イベントプロやハイエナプロが収支のみを自慢の種として、ホールを我が物顔で闊歩していた。俺はそんな風潮が、そしてそんな奴らが大嫌いだった。いくら稼ごうが、それは常連客が負けた金額の一部を「不当」に、そして「姑息」に戴いているだけなのだから。常連客をマークするハイエナは問答無用だが、「いい時」しか来店しないイベントプロも、俺から見ればハイエナと同じだ。
昔気質のジグマ(一軒のお店でのみ打つ)であった俺は、常にホールにとっての自発的サクラであろう、と考えていた。たとえ近隣店がイベントでも、俺は今日もここにいるよ、と。そして今日も勝っているよ、と。近隣店がどうであれ、このホールには今日も勝てる台があるんだよ、と。そうすることが俺を飼ってくれているホールへの仁義であり、同時に俺を可愛がってくれる常連客への恩返しだと信じていた。
勘違いしているパチプロもどきが非常に多いが、パチプロだって独りでは生きていない。出禁にせず飼ってくれるホールがあって、そして毎日来ては負けてくれる常連客がいて、それらの条件が揃って初めて、パチプロがプロたりえる収入を得られるのだ。
だから俺にとってホールは敵ではなかった。ならば対立する必要も裏切る必要もない。故に俺は模範的な客であろうとした。自販機ではなくコーヒーレディから飲み物を買うことも、台移動を極力しないことも、タバコを綺麗に捨てることも、店員に必ずお礼を言うことも、すべて同じだ。
当時メインで打っていたジャグラーのシマで、毎日勝っている俺にこう聞いてくる客がいた。
「兄ちゃん、攻略法あるの?」
ジャグのシマでは当たり前の光景。しかし予期せぬ質問に面食らった俺は、少し悩んでこう答えた。
「レバーを優しく叩くことですよ」
分かるだろうか。ありもしない攻略法は教えられないし、立ち回り方を教えたとて理解できないだろうし、する気もなさそうだ。それでも「○○ゲームが当たりやすい」、そんな嘘は絶対につきたくない。それは俺なりに考えた、最善と思われる答えだった。
嘘といえば嘘だが、人を不幸にする嘘ではない。どう叩いても1ゲームは1ゲーム。ならば優しく叩けば疲労も少ないし、神経の摩耗も抑えられる。何よりも台のため、ホールのためになる。
俺の5年半に及ぶパチンコ生活の中で唯一の小さな自慢は、この攻略法が浸透したおかげでジャグのシマがとても静かになったことだ。それは俺を信じてくれている常連客が多かった――つまり、俺が認められていたということの証しだと、今でもそう都合よく解釈している。
念のために書いておくと、俺は立ち回り方を教えることに抵抗はない。感覚によるものが大きいから、教えても俺以上に設定をツモられることはないだろうという、若気の至り的自信もあった。だがそれ以上に、それで俺がツモれなくなるなら俺はその程度なのだ、と思っていた。当時はメールでのヒントが多かったが、その情報も常連客には教えていたし、聞かれれば誰にでも答えていた。そう、パチプロもどき以外には――。
社会のクズと仁義。種類こそ違えど、任侠道に生きる人達ときっと同じ類のものだ。クズの中にも序列はある。いや、むしろクズだからこそ、娑婆より厳しいかもしれない。
俺が選んだ道はクズの道だが、それでも自分に忠実であろうとしたつもりだ。やりたいことをやって生きる。それは手段ではなく目的なのだから、自ら道を外すなど言語道断だ。
俺が社会人に戻った後、何度かそのホールに足を運んだ。打つためではなく、仲の良かった店員に会うために。それなりに有名な雑誌だから何人かの店員も読んでくれていて、俺がそこにいることをとても喜んでくれた。そして、いつでも遊びに来てと言ってくれた。他人に誇れるものではない。それでも俺は俺の社会を築いていたと実感できた。
半年後、俺はきっとクズに戻る。それを怖がらない理由はただ一つ。5年半喰ってきた自信なんかじゃない。5年半、ホールという塀の中で「楽しく」生きていたという自己の感想だ。楽しくなければ生きている意味などあるだろうか。
氏の行動規範と俺のそれが合致していたことを今さら知った。それも当然だ。俺の考え方は別に独自のものではない。同じく若くして彼岸へ行ってしまった田山さんもそうだった。ジグマという人種はこういうものなのだ。
だから初めて会った時に俺の考え方をぶつけたら、氏はとても喜んでくれたのだ。懐かしかったのだろう。ジグマが死滅に近い現在では、仁義云々は昔話にしか存在しえない。氏でさえも何軒かのホールを行き来する、田山さん言うところの「都合のいいジグマ」という、正統派一軒主義者が最も忌み嫌うスタイルを余儀なくされていたのだから。氏ほどの実力を持ってなおそうなのだから、本当のジグマなどそうそうお目にかかれない。
白状しよう。クズに戻ったらきっと俺もそうなる。今時パチプロを飼ってくれるような、体力と器量のあるホールは相当に少ない。それでも俺は最低限の仁義を守り抜いて、駄目なら野垂れ死ぬ覚悟さえ持った、誇り高いクズになろうと思う。そうでなければ、いつか地獄で氏や田山さんに合わせる顔がない。
氏を偲んで。合掌。
Android携帯からの投稿
思えば雑誌の宣伝をするのは初めてかもしれん。
理由が理由だけに切ないが
是非読んでいただきたい。
94年という、営業形態も設置機種も
何もかもが違う時代の原稿が今でも輝くのは
氏の言葉に嘘がないことの証明であり
普遍性に満ちていることの証明であり
氏や田山さん、そして全国に生息していた
名もなきジグマたちの
魂の叫びに他ならないからだ。