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TAKの部屋

ムラムラくんという、よく分からない人がよく分からないことを書くブログです。

俺にとっての日常である。

いや、まあこの世に生きる、特に先進国に暮らす大体の人にとって、日常的な行為ではあるのだけれど。

それでも、それを生業とする人は意外と少ない。

そして、きっと、それに対してあこがれを持つ人は少なくない。俺は未だにそう思っている。何故か。俺が未だにそうだからだ。

誰にでも当たり前のことを職業にする。これほど怖い事はない。

だってそうでしょう? サッカーだって野球だってプロレスだって、どんだけ酷いものを見ても「じゃあやってみろ!」と言われたら終わりだもの。できやしないんだから。

でも、文字を書くことは誰にでもできる。文字で意思や思考を伝えることは誰でもやっている。

「じゃあやってみろ!」

それが通用しないのだ。怖いったらありゃしない。

それでも、俺自身が文字を生業にするからこそかもしれないが、「本当に上手な文章を書く人」に強いあこがれがある。同時にライバル心もある。

俺だってそんくらいできんだぞ!

実際はできないけど、その反骨心は持っていないとダメだと思ってる。俺もプロでなければいけない人なのだから。

メールがある。ツイッターがある。LINEやらFacebookやらなにやら、とにかくなんでもかんでもある。だから今は、きっと人間の歴史上、もっとも文字と密接な時代だ。

みんな、自分の意思を、意見を、簡単に世間に発信できる。受け取る人が限られるとはいえ、それが半永久的に残るから、未来の可能性まで含めると、受け取りかねない人の数は膨大だ。

問題なのは、手軽さゆえに、誰も持ちうる影響力に対して、覚悟なく書いてしまうことだろう。

思ったことをそのまま書く。その時はウソでなくとも、時間が経つとウソになることが多々ある。

俺だって、過去に
「ずっとまたぎでいる」
だの
「鈴村あすかをずっと応援する」
だの書いているが、今じゃその気配はゼロだ。

ウソを書いたわけでもない。ウソになるかもとさえ思っていない。書いた時点において、それは紛れもなく真実100%だった。

でも、今もしこのブログを読み返す奇特な人が現れてしまったら、その人にとっての俺は大嘘つきだ。俺は36年の人生を通じて「嘘をつかないこと」を唯一にして最大の美徳として生きてきたにも関わらず、だ。

そして、そんな人はまあまずいないのであるが、それでも今日も明日も100年後も、その可能性だけはゼロにならない。

文字は怖い。無機質だから、思惑通りに受け取られないことがしばしばある。

ただでさえ怖いのに、そこに時間経過ゆえの結果的ウソまで混ざったら...ああ、これほど怖いものが他にあるだろうか。いや、ない。反語。

そんな覚悟を持って文字を書くことは、誰にでもできることではない。

だから俺はそうであろうと思う。

そして、多くの文章を読み、自分で理解分解再構築し、自分の文章に活かしていきたいとも思う。

これも誰もがやっているわけではないから。

そしていつか、小説を、エッセイを、書いてみたいと思う。

それが俺の夢。

そのために、俺は今日も文字を書く。ツイッターで、ブログで、そして、仕事で。

幸せ者だ。
ちょっと仕事でこういうテーマがあったから
俺も書いてみる。

人生最高の1日なんて決められるものじゃない。

俺の最高の1日候補筆頭である日のことを書いた時に
そう書いた記憶がある。

同時に、でも間違いなくこの日はその候補だ、とも
書いたと思う。

最近あらためて色んな人の最高の1日を聞いたら
自分はどうだろう、と思った。

理想を言えばね。
俺はいつでも「今日」って言いたい。

明日は必ずくる。
昨日も必ずある。
でもやっぱり、生きてるのは「今」なんだよね。

だから俺は毎日「今日が人生最高の1日」って
そう思えるように生きていたいし
そのために仕事もするし酒も飲む。

色んなことの終わりがいつ来るか分からないから
未来を考えることもあまりすきじゃない。

充実した「今日」を積み重ねたら
結果的に幸せな未来がある
そう思ってる。

本来の意味での「刹那主義」やね。

楽しい事は毎日そこらじゅうに転がってる。
それに気付く心の余裕を持っていたいね。
そうしたら毎日が最高の1日になる。

だって、思い出なんかより
リアルの方がよっぽど楽しいから。

妄想の未来なんかより
現実の今の方がよっぽど嬉しいから。

人生最高の1日。
今。
今日。

これからも、そうでありたいね。
1990年に発表されたから
もう25年以上前の曲です。

四半世紀を経てなお
多くの人がKANと聞くと
「愛は勝つのひとだよね?」と返してくるから
それだけ多くの人にとどいた曲です。

でも。
あまりきちんとは受け止められていない
歌詞の上っ面だけを捉えて
「理想論の極み」
みたいに思われてる気がします。

だからちょっとマジメに考えてみました。

この考察の最終結論は
「歌われている【愛】とはなにか」
です。

まずは歌詞を載せておきますね。

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この曲はまず
「心配ないからね」という
極めて無責任な言葉から始まります。

いきなりそう言われても
なんでだよ
なにがだよ
てかお前誰だよ
そういうツッコミが頭に浮かぶはず。

でも、この言葉はキーワードなんですよね。

心配することないよ
だって「愛は勝つ」んだから

それがこの歌の本旨ですから。

ではなぜ「心配ない(=愛は勝つ)」のか。

それはその後に説明されています。

「君の想いが誰かに届く」から
「明日はきっとある」から
です。

ただし、それには条件があります。

「信じること」

言い回しを変えて2回出てきます。

信じることを決してやめないで
信じることさ必ず最後に愛は勝つ

つまり、信じ抜くこと
それをすれば愛は勝つと歌っているんです。

でも、この曲はある意味ずるいんです。
なぜなら、その「信じ抜く愛」の対象は
今愛している人に限定していないのです。

君の想いが誰かに届く
そして
もう一度夢見よう

誰かに。
今愛している人ではなくとも
誰かに。

もう一度。
今の恋愛がうまくいかなくても
もう一度。

つまり。
この曲で言うところの「勝つ」ことは
「今の」恋愛が成就することではないのです。

では、なんなのか。

成就するまで恋愛をあきらめなければ
いつか気持ちを受け止めてくれる「誰か」に会って
最終的に「愛は勝つ」んです。

そう歌ってるんです。

それは2つの英語部分にも表れています。

carry on
carry out

前者は「~し続ける」
後者は「〇〇を成し遂げる」
そんな意味です。

~にあたるのは「信じること」でしょうし
〇〇に入るのは「君の想いが誰かに届く」でしょう。

つまり、何があっても信じ続けて
恋愛を成就させよう。
そういうことを繰り返し手を変え品を変えして
訴え続けてるわけです。

極めて無責任ですよね。

でも、この曲は無責任だからこそ
意味があるんです。

不特定多数に向かって抽象的なことを歌う時に
責任など負えるはずがないんです。

責任を背負ったフリをすることこそが
本当に無責任だと思うのです。

それとは別に
この曲は優しさに溢れています。

夜空に流星を見つけるたびに
願いをたくしぼくらはやってきた

ぼくがいちばん好きな部分です。

君もぼくも
自分だけの力ではどうしようもないことを
星に願いを託したりして
神頼みなんかしちゃったりして
そうやって他者にもすがりながら
生きてきたんだよ。

なにより
君だけじゃないんだよ
ぼくもだよ。

そういう優しさが溢れる詞です。

君の今背負っている悲しみは
ぼくらも経験してきたことだから大丈夫。
だからこそ主人公は
「心配ないからね」
などと無責任なことが言えるんです。

ここで「ぼくら」を登場させることで
その先の辛い部分をフォローすることになります。
さらに言うと、その部分は
「愛」とは何を指しているのか
その答えの大きなヒントになります。

求めてうばわれて
与えて裏切られ
愛は育つもの

好きな人は他の人にとられてしまい
尽くした恋人には裏切られてしまった
でもそうやって
「愛」っていう感情は
抽象的な概念から進化して
具体的な確固たる想いに変わる。

ぼくもそうだよ。

そういうことを歌っているんです。

さぁ、結論が近づいてきました。

愛は勝つ=今の恋愛が成功するわけではない
愛=今の誰かに対する強い思いではない

きっとね。
この歌の「愛」っていうのは
「自分の持つ【愛する】という感情全般」なんです。

分かりやすくいうならば
理想の結婚観や家庭観
そして
理想の死に方まで含めた人生観というか死生観
そういったことなんでしょう。

この曲を大好きだという
シンガーソングライターの川嶋あいは
こう言っていました。

「愛は勝つ。私は勝つ。」

この言葉の持つ意味には
私=あい
ということもあるでしょう。

同時に、この歌の意味を
人生に勝つ
と捉えたわけです。

ぼくはこのインタビューを読んだ時に
川嶋あいの歌う「愛は勝つ」を聞いてみたい
そう思いました。

またこの曲をカバーしたモデルの杏は
こう言っていました。

サビの歌詞を見ると、とてもポジティブに、励ます歌になっている。でも、実は痛み、悲しみにさらされて、それを一度受け入れた上で、肯定している

そうなんです。
実は「carry on」っていう言葉は
先程は単純に「~し続ける」としましたが
より正確に云うならば条件指定があって
その条件は
「特に, 中断したあと, または困難にもめげずに
なんです。

いちど止まったものを再び動かす
それがcarry onの本来の意味なのです。

ネガティブなことに負けて立ち止まって
それでももう一度愛を信じよう
大丈夫、できるよ
ぼくらもそうやってきたから

そういう歌なんですね。

杏という歌手ではない人が
きちんとそこを正確に捉えたことに驚きました。

ちなみに杏バージョンのPVでは
この部分で涙を流しているそうです。

結論です。

ここでいう愛は人生そのものです。
だから、愛は勝つは人生の歌です。

KANは自らを「女性至上主義者」と言っています。
愛のない人生は考えられないのでしょう。

そして、この曲は応援歌なのです。

愛する人と共に暮らす喜び
愛する人に愛される喜び

そういった未来を掴むために
愛は勝つ、と。

そしてそのために必要なのは
信じることさ、と。

そしてそれを不安に考える皆に
心配ないからね、と。

そういうことを伝えたい歌なんだと
25年前に小学生だった俺は
考えました。