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TAKの部屋

ムラムラくんという、よく分からない人がよく分からないことを書くブログです。

このブログを見ている人は
果たしてどのくらいいるのだろうか。

よく分からないけど
ご無沙汰してます。ムラムラです。

特に何かがあったわけではないけれど
たまたまテレビを見ていたら昭和歌謡が流れていて
俺の音楽の原点もそこだよなー
なんて素直に思っちゃったから
こうしてアプリを立ち上げています。

昭和歌謡とフォークミュージック。
俺の中ではニアリーイコールです。
俺の昭和音楽はフォークだし
そこが音楽の原点です。

たくさん好きな音楽家がいます。
沢田研二は今聴いてもかっこいい。
吉田拓郎は今も昔もずっと聴いてます。
GSではスパイダースが大好き。
あの当時にあの音楽センスをもっていたことは
驚異的だとさえ思います。

そんな中、今も昔も変わらず
ずっと大好きなグループがあります。
NSP。
ニュー・サディスティック・ピンク
の略ですが本人たちは冗談半分で
納豆・そら豆・ピーナッツ
なんて言ってたそうです。

いちばん有名なのは「さようなら」なのかな。
「夕暮れ時はさびしそう」なのかな。
多分、どっちかだと思います。

ギター2本とベース、そしてハーモニー。
形態としてはSomething ELseと同じです。
そして、サムエルと同じくらい
美しいメロディーが多いグループです。

いちばん最初に聴いたのは多分「夕暮れ時~」かな。
親父が大好きでね。
ベスト盤を持ってたから一緒に聴いてたの。

俺がいちばん好きなのは「歌は世につれ」。

死にたい時も何度かあった
自分が嫌になることだって
泣き言だらけの僕の隣で
君が笑って座っていてほしい

なんて重い歌詞なんだろう。
でも、俺もそうだったな。
正確には、死にたいと思ったことはないけど
死んでもいいや、と思ったことはたくさんある。
そんな感じ。
自発的ではない、ただそれだけ。

こんなことまで歌にしていた当時は
きっと幸せな時代だったんだろう。

俺は音楽っていうものは
世相と合わせ鏡だと思っている。
真っ直ぐな時代だと斜に構えた歌が響く。
斜に構えた時代には真っ直ぐな歌が響く。
死にたいと歌える時代は
皆が死にたくないと思えていた時代なんだと。

でもそれに当てはまらないものもある。
それが表題の「北北東の風」。

時代を超越するものがある。
歌の中に出てくる

かなわぬ夢ばかり追いかけてばかりより
今のこのひとときをたいせつにしよう

この心構えは、いつの時代も不変だ。

今は今しかない。
だから、今を生きるしかない。
どうせ生きるなら今をたいせつに。

他にもある。

遠くの方ばかり過去のことばかりより
今のこのひとときをたいせつにしよう

過去は美しく甘い。
でも振り返ったからといって何になる?
過去は過去。今は今。
そういう歌なんだと思う。

北で生まれても寒がりな人もいれば
南国育ちでも暑がりがいる。
でもこういう気持ちは不変なのだ。共通なのだ。

色んな人がいる。
色んな考えがある。
相互理解。

俺は思う。
今を生きよう、と。

悲しいこと楽しいこと。
生きてりゃ色々ある。

どうせいつか死ぬ。

ならば今を楽しもう。

過去を振り返るのではなく
与えられた今を頑張ろう。

俺に関わってくれたすべての人へ。
ありがとう。
槇原敬之の楽曲。

いつ出たかとかは忘れたけど
確か「PHARMACY」か「UNDERWEAR」
どっちかのアルバムに入ってたと思うから
1994~1996年くらいの楽曲。

要するに20年前の楽曲。

歌詞はこんな感じ。



行いが悪かったかな
ごめん冗談で言ったつもり
気にしないよ そう言うと君は
わざと明るく笑ってみせた

雨の中ずっと待たせたのを
謝った僕をかばうように
一人ぼっちより誰かを待つ方がよっぽどいいよ
って言った

足りない物持ち寄っただけの
出来損ないの恋は
あまりにも見栄えが悪くて
きっと誰にも見守られない

いつも雨だね 僕らが会う日は
待ち合わせの場所まで傘で隠すように
その後一本はたたんで僕のをさして
ちょっと見たら普通の恋人同士


高いホテルの窓から見える
どこかの部屋の窓あかりが
一つ一つ消えてくたびに
逃げきれたような気分になる

これ以上暗くならないね
あと一回引けば消えるスタンド
お互いを見つめるのにちょうどいい
明るさも手に入れられない

世界の終わりみたいな顔して
キスをする僕ら
間に合わせの温もりじゃ
もうダメになるのも分かっている

絶対誰にも聞こえないように
息を潜めて君が好きだよって言った
いったいどんな言葉を返せばいいか
分からないまま抱きしめた


僕と彼女の幸せを君に分けたとしても
やっぱり幸せのかけらは
ただの幸せのようなもの


いつも雨だね僕らが会う日は
待ち合わせの場所まで傘で隠すように
そのあと一本はたたんで僕のをさして
ちょっと見たら普通の恋人同士



槇原のファンの人には有名な曲です。

通常は「不倫の歌」と捉えられますが
ファンであるほど違う解釈になるのでしょう。

つまり「ゲイの歌だ」と。

どっちかは分かりません。
公式なアナウンスでは
「不倫とはどういうものか想像して書いた」
となっていますから。

ただ、相手の語調が両性的であること
そして「ちょっと見たら普通の恋人同士」
つまり、ちゃんと見たらそうではない
というところがゲイ説を強めています。

不倫なんて見ただけでは分からないからね。
でもゲイならちゃんと見れば分かるから。

まぁ、そんなことはどうでもいい。

これは悲しい歌ですね。

誰からも
つまり、家族や親友からも
祝福されない、見守られない。

こんな悲しい恋があるでしょうか。

こういう「勘違い」ソングの類似例として
KANちゃんの「永遠」
もしくは「愛は勝つ」があるわけです。

さすがに今はそうでもないでしょうが
20年ほど前はよく結婚式で歌われた曲です。

愛は勝つについては以前書きました。
今の恋愛ではなく人生の歌だ、と。
しかしそれは
「今が上手くいかなくても諦めるな」
という要素を含んでいる、と。

完全に悲しい歌ではないけれど
でもやっぱり結婚式には相応しくない。

それ以上に「永遠」です。
恋が成就しなくても
これから先どれだけ愛する人に会っても
最高の愛は想い出の人だ
と歌っている曲ですから。

KANちゃんは永遠について
これ以上のラブソングは書けない
史上もっとも悲しい歌だ
そうコメントしていた曲です。

結婚式に使う歌ではないわなw

どんな曲かは、つべとかで聞いてみて。
悲しいから。
愛の究極系だから。

とにかく。

作り手の意志とは違う解釈をされるであろう
そういう楽曲です。

それでもその重さは伝わる。
だから今でも人気のある曲なんでしょう。

この曲をライブであまり歌わないのは
やはりその重さゆえでしょうか。

結ばれない恋も悲しいけれど
結ばれたのに誰にも喜ばれない
そんな恋愛のほうがもっと悲しい。

こういう重いテーマを提示できる音楽家は
意外と少ないと思います。

そういう意味で
すごく貴重な楽曲であり
日本の音楽界が遺していくべき楽曲だと
20年経っても思うわけです。



以下、余談。
俺がこの曲を初めて聞いたのは18の時。
その頃からこの曲を好きだったってのは
ある種異常だわなぁ。
忙しいフリをしてる。

毎日仕事してるし
土日でも出張やら何やらあるし
実際にそこそこ忙しいのだけど。

特にこの半年弱
アイドルへの強い興味を失ってしまい
今はもっぱら仕事をしているか酒を飲んでいる。

仕事が忙しく時間が作れないから
アイドルに興味がなくなったとも言えるし
興味がなくなった方が先で
それは言い訳かもしれない
とも思っている。

とにかく。
毎日仕事をして、毎日酒を飲んでいる。

アル中ではあるのだけど
病気という後天的なものではなくて
もっと単純に先天的なものかもしれない
そう思っている。
つまり超シンプルに「バカ」なだけだ、と。
そう思わされる出来事が昨日あった。

話は少し遡って4日前。
木曜日のお昼過ぎに出張で名古屋へ出かけた。
そして、その夜打ち合わせというか懇親会というか
とにかく酒を飲んだ。
本番はその翌日なのに
頭の悪いことにほぼ何も食べず
ただただ芋焼酎を飲んでいた。

おかげで翌日の金曜日にものすごく体調が悪くなり
泣きながら仕事を終え新幹線に乗り
缶チューハイ一本だけに酒を控えた。

しかし、土曜日は飛行機で博多に向かうため
朝4時30分に起きてシャワーを浴び
無理やり身体を叩き起こした。
そしてANAで博多へ向かい
打ち合わせもそこそこに仕事をした。

さらにそこで台本にも予定にもないけれど
俺の勝手な危機感から
それなりに有名なアイドルさんと
午前・午後とも30人ずつのお客さんを前に
フリートークと機種解説をした。

知識や度胸はあるけれど
やはり心の準備ゼロという状況で
しかも現場という編集不可能な場所で
いきなり90分のトーク×2回というのは
かなり精神的に疲れるものだった。

それなのに、その仕事を終えて
ライターと食事(俺は飲んでたけど)を終えたあと
中洲へと1人で向かい
朝の3時までずっと飲んでいた。

ここで「こいつバカ」と思った人。
まだ早い。

翌朝、少しゆっくりチェックアウトをすませ
飛行機で羽田に戻った。
疲れ果てているから機内で眠れると思っていたが
あいにくの悪天候で飛行機が揺れまくり
ほぼ寝れずに東京へ帰ってきた。

羽田から地元川崎へは京急線で一本だ。
だが、京急川崎からJR川崎まで
少し歩く必要がある。

電車を降りて改札を出た。
そして俺の足は...飲み屋に向かった。
時刻はまだ14時30分だ。

疲れ果てた4日間を終えたというのに
家に帰れば眠り続けられるというのに
なぜそれができないのだろう。

この時、初めて思った。
俺はアル中ではなく、ただのバカだと。

思考としては論理的なのよ。

昼に寝る
夜に起きる
もう眠れない
月曜から眠いまま仕事
それはイヤだ
起きていよう
酒を飲もう

こういう思考回路の元に出した結論だが
それでも3杯目の緑茶ハイを飲み干しながら
ただの言い訳にすぎないよな
飲みたいだけで理由つけてるんだよな
そう思ってしまったのだ。

今日は比較的早く仕事を終えた。
そして、とてもめずらしいことに
部署の大多数が同じ時間に退社したので
一緒に駅まで向かった。

俺は毎日の恒例行事のように
駅近くのスーパーで缶チューハイを買い
駅前の喫煙所で飲みながらタバコを吸う。

今日もその例に漏れず
そうしようとスーパーに向かったら
皆はパチ屋へ向かう、との言葉を残し
先に駅へと向かってしまった。

普段より早いとはいえ夜20時過ぎから
ホールへ行くなど俺には考えられない。
とはいえ業種的にはそっちの方が
健全なのかもしれない。

同時に疲れ果てた土日を超えて
せっかく早く帰れる週のド頭でも
いつも通りだと言い訳をして酒を飲む俺も
違うジャンルのバカなのだろう。

それでも俺は生きている。
今日もお酒は美味しかった。

俺は幸せ者だ。