そんな俺だが、新選組が大好きだ。
これは、日本の歴史を少しでも知ってさえいれば、違和感を持つはずのこと。新選組は京都においてもっとも長州人を斬り殺した組織であり、その中には俊才と謳われた吉田稔麿(よしだ としまろ)もいるからだ。
それでも、俺は新選組が大好きなのだ。
自分の中では上記の殺戮を「『必死に生きた者同士』の争いなのだから、平和に生きる俺たちがそれを恨む資格などない」ということで収めている。
さて、ここまでは大昔の記事にも書いたことがあるはず。
本題はこのあと。
新選組、という名前だけは有名な組織だが、実際の「歴史」において何をなしたのか、「歴史的」にどういう意味を持つ組織なのか、そこの位置づけが非常に難しい。
新選組が日本に与えた影響、と置き換えてもよいが、それがなんであるかということは、これだけ名を知られた組織にも関わらずどの歴史家も決めきれないのだ。
もちろん、それには理由がある。
中心メンバーの多くが維新終結を待たずに死んでしまったため語り部が少ないこと、子母澤寛や司馬遼太郎などの歴史家ではない作家がとても魅力的な文章を書いてしまい、且つそれが広く大衆に受け入れられてしまったこと、そしてそれに「歴史学的に」反論できるほど資料が敗者ゆえに残っていないこと、などが挙げられるだろう。
いずれにせよ、新選組という組織があったこと、近藤勇(こんどう いさみ)や土方歳三(ひじかた としぞう)の2人がその中心であったこと、その組織がそれなりに近代的な組織体系を採っていたこと、そして彼らを含む初期の新選組メンバーが後世のイメージ通りとても剣術に優れていたこと、は事実である。
また、池田屋事件は彼らにとって最も著名な出来事である。これは、彼らなくしては起きなかったと断言できる、またこれがなければ歴史が変わっていたかもしれないと考えられる、ほぼ唯一の出来事である。
だが、池田屋事件とはなんだったのか、と言われると分からない。この件で先述の吉田稔麿をはじめ多くの若き有望な志士たちが殺されたので、これをもって「維新が3年遅れた」という人もいたし、逆説的に「維新が早まった」という人もいた。日本史の教科書にも載るような大事件にも関わらず、こんな単純な評価も定まらないのだ。
それ以外となると、もっと不確かだ。そもそもこれ以外に「新選組の有無で歴史が変わる(かもしれない)」事件はないと考えている。
唯一の例外は維新の最後となった箱館戦争だろうが、そこにいる「新選組」はほとんど原型を保っていない。初期メンバーの土方は最後まで戦ったが、そもそも箱館戦争時点では新選組は土方直下の組織ではないのだ(もちろん、影響力は大きかったが)。
言わば、箱館戦争は土方の影響こそ大きくても、新選組とは切り離して考える方が妥当だと俺は考えている。
では、新選組は歴史的に(ほぼ)無意味なのだろうか。
俺の答えは「否」である。
というか、人は誰もが歴史的に意味を持っていると思っている。名もなき人の平々凡々な暮らしの積み重ねが、現在なのだ。無意味な生など、ひとつもないのだ。ましてや名を残した集団の生が、無意味なはずはない。
では新選組から学ぶこととは何だろうか。
ちなみに、ここからは歴史学的には意味も価値もない愛好家による推論に過ぎないことをご承知置きください。
新選組から学ぶこと、それは「組織の維持(または崩壊)」だと考えている。
新選組の結束力はとても強かった。しかしそれは、近藤が経営していた道場「試衛館」の門人が多くいた全盛期の話である。山南敬助(やまなみ けいすけ)を初めとし、藤堂平助(とうどう へいすけ)や沖田総司(おきた そうじ)の離脱、井上源三郎(いのうえ げんさぶろう)の死、そして永倉新八(ながくら しんぱち)と原田左之助(はらだ さのすけ)との別れ。これらを経て新選組はただの烏合の衆となった。また、時代が下るにつれ徳川方の旗色がどんどん悪くなったのもそれに拍車をかけた。
俗に言う「鉄の掟」をもってしても、新選組は離脱者を抑えられなくなっていくのである。
京都で、大阪で、江戸で。後期の新選組は隊員募集を多く行ったが、知名度ゆえに集まりは悪くなくとも、いざ戦線が不利と察すればすぐに離脱されてしまっている。
近藤の思惑は正直測りかねるのだが、土方の心中はなんとなく分かる気がする。これは司馬遼太郎が描く「燃えよ剣」と恐らく相違ないだろう。ここまできたからには徳川幕府と共に散る、という心境だったように思う。
土方は京都に上る前、こんな詩を詠んでいる。曰く、「梅の花 咲ける時(し)だけに 咲いて散る」。
人間の本性というものは芸術作品に現れる。また、本性とはそれほど簡単に変わるものではない。むしろ、窮地に追い込まれた時にこそ、単純な思想=本性に戻りやすい。
土方はきっとこのような心境であったろう。死を覚悟すれば、思想は純化し、そして強固になる。
そんな土方に、彼からすれば簡単な気持ちで応募してきた新隊員たちは着いていけなかった。特に末期、江戸で募集された隊員たちは、伝聞でしか維新の争いを知らなかったはずで、260年続いた徳川幕府が極めて短い期間にこれほど崩壊しているとは考えていなかったのではないだろうか。
想像と大きく異なる新選組の現状、徳川幕府の権威失墜、それに比べて子供のように純化された土方の思想。新隊員たちに着いていけという方が無理な注文であろう。
何より、子供の頃から親しかった新選組の隊長である近藤が土方に着いていけなくなったのだから、その隔離さがいかに深刻か窺える。
俺は土方が特に大好きだが、近藤の死まで土方が本当の意味で独り立ちすることはなかったと言わざるを得ない。多くの同志たちが離れても彼は意固地になるだけだった。そしてそれゆえにさらなる離反を生んだ。
これは現代の組織においても通づるところがあるのではないだろうか。
トップはどんと構えていなければならないし、自分の信念を断固持ち合わせていなければならない。だが同時に、下の者達の心境もきちんと把握する必要があるのだ。それができないと、例えその思想や信念が正しくとも、部下は離れ組織は瓦解する。
ただし、土方はやはり並の人物ではなかった。近藤の死を越え、名実ともに新選組のトップとなり、さらには箱館政府軍の陸軍奉行並にまで出世した後は、驚くほど温和な人物になっていたようだ。
そしてその成果は「二股口の戦い」に結実した。土方の軍事センスと統率力が、圧倒的優位な新政府軍を止めた。
悲しいかな、このことも歴史的には大した意味を持たない。箱館陥落が少し遅れただけで、戦局には影響しなかった。
それでも土方は最後に自らの経歴をすべて見せつけて、そして死んだ。箱館政府の幹部のうち、戦死したのは彼だけである。その根底にはやはり、咲くだけ咲いて潔く散る、という彼の本性が残っていたのだろう。彼は本性を変えたのではなく、他人向けにはうまく隠せるようになっただけなのだ。
結論、組織とは身内で運営すればそれはもちろん上手くいく。上手くいっているからこそ、「鉄の掟」なんてものも機能する。だが、落ち目になった時はそうではない。その時は柔軟に、部下の気持ちを汲まなければならない。
それは、本性を変えるということではない。うまく変わったように見せる、そのことが大切なのだ。
同時に、逆のことを言うようであるが、常に心の奥底には信念を持っていなければならない。それを貫かなければならない。貫き通すのは非常に困難であるが、それを成し遂げたら後世に評価される。新選組=悪の組織、そういう時代もあったが、正しいものはきちんと正しく残る。
それを教えるために、新選組は歴史に存在したのだろう。
俺はそう考えている。