久々の 『鉄道』 関連 のBlog更新と参ろう。
今から26年前の平成11(1999)年、
上野-札幌の区間にこれまでの寝台列車の概念を覆す、
豪華寝台列車が登場し話題と成った列車があった。
昭和63(1988)年03月13日、当時、青函トンネルが開通し、
本州と北海道を結ぶ、寝台列車の運行が始まった。
その先駆と成ったのは言わば 『北斗星』 である。
その後、平成元(1989)年07月21日に大阪-札幌と、
日本海側を縦貫して札幌に至る、
『トワイライトエキスプレス』 が登場。
そして最後に登場したのが、
平成11(1999)年07月16日、
上野-札幌の区間を往復で、
しかも曜日毎にしか運行出来ない、
たった1編成だけの臨時豪華寝台列車として、
名を馳せた 『カシオペア』 がそれである。
上野-札幌を往復で、
しかも曜日毎にしか運行出来ない、
たった1編成だけの臨時豪華寝台列車として、
名を馳せた 『カシオペア』 )
従来の寝台列車には無かった、
シルバーメタリックの車体に、
5本のストライプをあしらったデザイン性の高さから、
現在でも根強い人気を誇る寝台列車 である。
『カシオペア』 は、前出の通り、
青函トンネル開通と共に登場した上野-札幌を結ぶ、
夜行寝台特急 『北斗星』 の好評を受けて、
誕生した列車であり、先駆車輛である 『北斗星』 は、
予約制コース料理を提供する食堂車や、
シャワー設備を持つ豪華な、
A個室寝台 『ロイヤル』 を備え、
既存の寝台列車とは一線を画す存在であったため、
当時は一躍プラチナチケットの寝台特急 として、
全国的にその名を馳せた。
電圧の差圧から運行を終了。
以降は、東日本管内に絞った団体専用列車として、
活躍の場を替えた。)
平成11(1999)年当時、
ややブームが落ち着いていたものの、
『北斗星』 は、1日3往復を運行する程の人気列車だった。
とは言え 『北斗星』 は、
従来の24系客車の改造車だった事から、
「揺れる」 「個室が少ない」 といった不満 が、
利用者から寄せられていた。
また 『ロイヤル』 は1人用個室だったものの、
エキストラベッドを使っての、
2人利用も多かったことから、
アンケート結果も参考にしたJR東日本は、
2人用個室を中心とした、
豪華寝台列車を開発 する事にした。
これが言わば当時 『 カシオペア』 誕生に向けての、
道筋=スタートの始まり だったと言える。
デビュー当時、華々しいデビューを飾った名列車も、
徐々に車体自体の老朽化=陳腐化が、
取り出される事になり、
遂に完全引退と言う選択肢 を取らざるを得なくなった。)
定員や床面積を増加させるため、
E217系電車のグリーン車を参考に、
上下2階建て構造の個室寝台車仕様とし、
全てA寝台のために個室内で直立出来る、
個室型トイレと洗面所が装備され、
基本的に梯子での2段寝台にしない事が、
追求 されていた。
開発時に参考とされたのは、
平成元(1989)年製の試作寝台車 『夢空間』 であり、
『カシオペア』では、製作コストが高騰した事も考慮 され、
E26系は建築技術を応用しての、
コストダウンが図られた。
( 『カシオペア』 の完全引退は、車輛自体だけではなく、
同列車を牽引していた、電気機関車の個体数の減少も、
大きく影響を及ぼし、これが完全引退への、
決定的な引き金と成ってしまった。)
標準的な2人用A個室 『カシオペアツイン』 は、
定員20(補助ベッド使用で21)名で計画されて、
JR北海道が 『北斗星』 用に開発した、
1人用B個室寝台 『ソロ』 車両では定員17名。
東京-高松・出雲市を結ぶ、
『サンライズ瀬戸・出雲』 の 『シングル』 は、
定員23(補助ベッドで26)名なので、
個室内にトイレを入れて定員20名という計画は、
パズルのような空間活用 が求められていた。
モックアップで空間を確認しつつ、
個室への階段を螺旋階段かつ共用として、
スペースを確保したり、肘掛けを移動式にして、
空いた場所に収納したりする等、工夫が重ねられ、
例えば2階をリビング、1階を寝室としたメゾネット型の、
最上位個室 『カシオペアスイート』 では、
寝台の一部を通路の下に入れ込み、
寝台幅を85cm程確保 している。
従来の24系型寝台車とは違い、
発電用エンジンを搭載した電源車を、
展望ラウンジカーとするために、
防音・防振・防火の3対策 を徹底に施し、
『北斗星』 で問題と成ってい乗り心地も、
電車と同様の電気指令式ブレーキを採用して、
ブレーキの利きを均一化したり、
連結器の緩衝器をしなやかな素材としたりする等して、
振動を大幅に軽減した車輛 であった。
『カシオペア』 のダイニングルーム。
正しくセレブ感がぴったりで、予約も中々取れない、
人気ダイニングカーではあったが、
完全引退の発表で、もう利用が出来なくなる日も近い。)
その長い間、鉄道、乗り物、旅行マニアに取って、
憧れでもあった同車輛ではあるが、
今年06月の運行を最後に、
完全引退する方針である事が先般03月28日、
JR東日本関係者への取材で判明 したと言う。
9年前に、北海道新幹線開業に伴って、
青函トンネル内の架線の電圧が、
在来線交流電圧である2万ボルト(V)から、
新幹線用の交流電圧2万5千ボルト(V)へ、
5千ボルト(V)昇圧に切り替わる事に伴い、
平成28(2016)年03月のダイヤ改正を以って、
定期運行を終了 した。
その後は旅行会社が販売するツアー商品である、
臨時列車 『カシオペア紀行』 として、
JR東日本管内各地を巡り、
現時点でも運行 を続けてきた。
しかし 運用開始から26年目に中る今年06月、
車輛自体の陳腐化や車両を牽引する、
電気機関車自体の所有数が減少している事を理由に、
遂に長い旅路の歴史に幕を下ろす 事に成った。
運行最後の月と成る06月に予定する、
宿泊付きのツアーが最後の雄姿が見られる、
ラストランになる事が決まった。
06月を以って、完全に鉄路から姿を消し、
記憶として遺るのみとなる。)
ファンに取って気に成るのは、
完全引退後の 『カシオペア』 の車輛自体の扱いを、
どうするかに集まっている、
但し、JR東日本側は今現在に於ける、
引退後の 『カシオペア』 の車輛自体に於ける、
処遇についての言及は知らされて居らず、
マニア達にとっては、今後の動向が気に成りそうだ。
完全引退に向け、今後は線路付近や駅構内で、
撮影を試みる鉄道ファンが増える可能性がある事から、
JR東日本側は、 「安全確保に努めると共に、
撮影時に於けるマナーの順守を…。」 と、
この様に呼び掛けている。
全国的に鉄道・乗り物・旅行ファンの憧れの的であった、
寝台列車 『カシオペア』 。
今年06月を以って、 26年に渡り多くの利用者に、
夢と希望を与えつつ、
鉄路での夢紀行の歴史にその名を刻した名列車。
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【カシオペア運行開始
25周年 YEAR 記念ツアー】
今回のお知らせは、最後のツアー運行と成ります。
お問い合わせは、下記のURLにアクセスの旨、
お願い致します。
https://www.jreast.co.jp/press/2024/20250331_ho01.pdf
JG7MER / Ackee