『39年間続いた、ファッション専門店が長期休業へ』 !! | “ Ackee ” の ブログ !! (b^-゜)

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今月最初のBlog更新と参ろう。

コロナ渦が収まり昨年の04月から5類移行と成り、

行動範囲が大分制限緩和された。

しかしコロナ渦の影響に因り、

流通関連を含む商業関連の業種は、

かなりの影響を受けているのは確かで、

最近の商業施設に於いては、

コロナ渦の影響により新たなる需要が発生した、

リモートを通して通販や宅配による、

サービスが急速に普及し、

その煽りでこれまでの店舗への客層の流入が、

大きな変化を生じる事と成った。


(東北の若者のオシャレ発信基地として、

39年間君臨してきた、 『仙台フォーラス』 )


特に日用品関連に特化した業務を扱う、

専用の新規店舗の立地はともかく、

これまでの 従来的な総合的な、

立地型の商業店舗の統廃合が、

大都市圏や地方圏を問わず、

最近になって目立ち始めている のは確かな様だ。

嘗ては 各都道府県に必ず1店舗はある筈の、

デパート=百貨店が閉鎖し、

空白域も発生しているご時世 でもある。

店舗の売り上げ実績も当然ではあるが、

中には 店舗の建物自体の経年劣化、即ち老朽化に因って、

抱き合わせで店舗としての営業を終了 すると言う手段も、

ここ最近は出始めて来ているのも確かだ。


(今のフォーラスのビルが建つ前は、

『日活仙台館』 と呼ばれる映画館があった。)



(今の “ぶらんどーむ一番町” 側から、広瀬通り側を臨む。

この時代は、道路も未舗装で、土埃が舞い上がり、

アーケード自体もまだ無かった。)


そう言った厳しいご時世の経済状況である最中に、

管理者の住むここ仙台でも遂にその現実が起きたので、

ご紹介する事にしよう。

仙台の中心部に中る繁華街と言えば、

“一番町(いちばんちょう)” であるが、

この一番町界隈にあたる 大型ファッションビルが、

長期休業 に至ってしまった。

それが地元仙台の若者に長い事愛されて来た、

ファッション専門店である 『仙台フォーラス』 がそれである。

先般、02月29日を以って、39年間の歴史に一旦幕を閉じ、

休業に至ったからだ。


(映画産業が斜陽化し、 『日活仙台館』 が閉館。

その後、跡地の市街地再開発の動きが加速化し、

現在の場所に再開発ビルを完成させた。

この時、出来たのは 『ジャスコ仙台店』 で、

言わば今日の専門店ショップの先駆けとして、

仙台へ初進出した。)


閉店時刻である、午後6時には大勢の若者が、

名残惜しそうに店舗の前に集まり、

長期休業に入るためのシャッターダウンの瞬間を見届けた。

『仙台フォーラス』 は、歩行者天国に中る、

“ぶらんどーむ一番町” と広瀬通りに面した場所に、

立地しているビルである。

同地にビルが立地したのは半世紀前に遡る。

ビルが立地する以前のこの地は嘗て 『仙台日活劇場』

即ち映画館が立地していて、

当時は映画興業が全盛を極めていた時代であった。

戦前にあった 『仙台日活館』 が戦災で焼失した後、

昭和21(1946)年に 『仙台日活劇場』 として再建され、

この地に建った。 石原裕次郎、小林旭、浅丘ルリ子等の、

スターによる、日活のアクション映画が人気を集め、

当時は賑やかな界隈 であった。


( 『ジャスコ』 として仙台に進出したものの、

その後進出した 『ダイエー』、『アムス西武』 と言った、

後発組の勢いに押されて業績は低迷し、

思い切った業態転換 を実施し、ファッションに特化した、

専門店へと衣替えをし、これが39年間に渡って、

東北のオシャレ発信基地である、

『仙台フォーラス』 の誕生と成った。)


しかし時代の流れと共に映画産業の斜陽化に因り、

昭和46(1971)年に閉館。

その後、跡地と同地区の周辺店舗と共に、

市街地再開発の機運が高まりを見せ、

昭和50(1975)年05月02日に、

『ジャスコ仙台店』 として開業した。

これが所謂、現在のビル立地に至る原形モデルと成った。

その後、昭和54(1979)年には、

一番町一番街商店街 (現ぶらんどーむ一番町) が、

歩行者専用道路が完成して、

現在の店舗前周辺としての環境に至った。


( “ぶらんどーむ一番町” 側の正面玄関に中る。)


開店当時は、 『仙台三越』、『藤崎』、

『丸光(後の“さくらの百貨店”を経て経営破綻)』、

『十字屋(現 LABI仙台)』、『緑屋(2箇所とも閉店)』、

開店と同期には 『ダイエー(現イオン仙台)』  開業して折り、

客層の争奪戦が一段と活発化していた時期でもあった。

昭和52(1977)年に現在の仙台駅の新駅舎が完成すると、

翌年の昭和53(1978)年には隣接地に、

ファッションビルの 『エスパル仙台』 が開業。

加えて当時の緑屋閉店と交換条件に、

ファッションビル『アムス西武 (現仙台ロフト)』 が、

『エスパル』 の斜め向かいに開店。

折しもこの時代は若者の間で “DCブランド” ブームが拡がり、

現在代表される 『パルコ』 の様な形態を担う、

ファッションビル全盛の時代に入って行った。


( 『仙台フォーラス』 の最大のセールスポイントは、

バーゲンセールだった。

“フォーラス・バーゲン” と称して、

前日の徹夜組も並ぶ程の大盛況ぶりだった。)


こうした客層争奪戦の渦中にあって、

当時の 『ジャスコ仙台店』 は、

数次に渡る店内改装を行なったものの、

業績が一向に向上しなかった。

当時、繁華街に立地して置きながら、

十分な駐車場を確保出来ない多層階の小売店舗ついて、

ジャスコ側は 業態転換も選択肢の一つの視野 として、

検討に入っていた。

そこでジャスコは、仙台店を昭和59(1984)年11月01日に、

若者をターゲットとにした、

ファッションビル『仙台フォーラス』 と、

名称を変えて業態を転換し、

これが先日まで長期休業に至る前まで営業していた、

『仙台フォーラス』 としての歴史に名を刻む、

リスタートの始まりと成った。


(東北の若者のオシャレ発信基地として、

店舗前に高速バス乗り場も設置され、

東北各県から訪れる若者が増えた。)


建物の構造は、地上8階、地下3階、売り場面積が、

凡そ1万4,500㎡。

長年、地元仙台の若者のファッションの発信拠点に成り、

嘗ては セールの時期にはオープン前から、

若者達の長蛇の列が出来る 事もあった。

ジャスコ時代からの流行を先取りした、

テナントの入れ替えやフロア構成を行ない、

昭和52(1977)年の米映画の大ヒット作品である、

『サタデー・ナイト・フィーバー』 が大ヒットした以降の、

ディスコブームの時期には、ディスコが入り、

昭和57(1982)年には、芸能事務所である “アミューズ” が、

ライブハウス 『モーニングムーン』 を設置する等、

業態転換化以降は、常に流行の最先端を取り入れ、

昭和55(1980)年代以降からの “カラオケブーム” の際には、

“カラオケボックス”

昭和61(1986)年公開の 米映画 『ハスラー2』 の大ヒットした、

“ビリヤードブーム” の際には、

プールバー “ロサンゼルスクラブ”
平成02(1990)年代には スタジオ『モーニングムーン』 から、

地元民放テレビ局である 仙台放送の 『夕やけTV編集局』 が、

生放送されて仙台のお笑いのメッカと成る等、

常に地元流行の最先端を機敏に取り続けてきた。





( 『仙台フォーラス』 での買い物の後の、

若者定番と言えば、

地下街にあった 町中華 『北京餃子』

安くてボリューム感がある事から若者は勿論、

家族連れにも人気があった)


平成12(2000)年以降になり、仙台-福島線を端緒として、

仙台発着の高速バスが東北地方に張り巡らされると、

高速バスの停留所に隣接している、

広瀬通一番町停留所・フォーラス前は、

各地から集まる若者を取り込む様に成り、

県外客は平日で1%。土日祝日で30%、

仙台市以外の宮城県内客では、

平日で19%、土日祝日で22%と、週末や祝日が重なると、

仙台市以外の来客で締められる 様に成った。

若者の間では フォーラス前で待ち合わせする事を、

若者言葉で 『ラス前』 と表現する様に成る等、

言葉の文化も発する聖地とも成った。

その一方で 『ラス前』 の、

“ぶらんどーむ一番町” 側に於いては、

リアル・クローズを対象とした、

ファッションショー 『仙台コレクション(仙コレ)』 を開催し、

人気ファッションモデルのイベントも店内で同時に開催。

加えて 『仙台パルコ』 に引き抜かれた、

“タワーレコード” の跡には、

仙台放送が新業態で出店する等して、

常に競争相手が増える中で、様々な仕掛けを行なってきた。


(長期休業が発表されてから、老若男女を問わず、

多くのメッセージがボードに張り出された。)


しかし時代は今は令和。

昭和50(1975)年05月02日に 『ジャスコ仙台店』 として、

開業してから築年数は既に48年10ヶ月の歳月が流れ、

建物自体への耐震工事が済んでいるものの、

平成23(2011)年に発生した東日本大震災、

令和03(2021)年と同04(2022)年に発生した、

福島県沖地震に因って設備の故障・停止や、

建物損傷等 が発生した事もあり、

長期的な安全性を確保するために、

建物の劣化や設備調査を行なう事 が必要と、

前々から発表されていた。

長期休業前の最終日となった、

02月29日の18時(午後6時)に営業を終えたその後、

店舗の前ではセレモニーが行われ、

仙台フォーラスの佐藤雄一館長が集まった人達に対して、

「東北生まれのフォーラスを温かく支持して頂いた、

東北一円のお客様のお陰です。

設置したメッセージボードでは、

フォーラスは 『私達の青春でした』 という言葉を、

多く頂きました。

休業で安全安心をしっかりと整えて、

また喜ばれる店として作り上げて戻って来たいと思います」 と、

挨拶をし、その後従業員が深々と頭を下げる中、

入口のシャッターが静かに降ろされ、

仙台フォーラスは 39年の歴史 に、一旦幕を下ろした。

利用客の多くからは、休業を惜しむ声が聞かれた。

50代の女性は、

「若い時に洋服を買った思い出があるので寂しいです。

広瀬通りの顔でもあったのでまたオープンして欲しいです」 と、

話していた。


(集まったお客さんの前で、長期休業の挨拶をする、

佐藤雄一館長。)


仙台フォーラスで開業から25年間、

勤務していた経験があると言う50代の男性は、

「フォーラスは青春だったので、

自分の中でひとつの時代が終わり、ありがとうしかないです。

新しく生まれ変わって前のフォーラスの様に、

皆に愛される店を作って欲しいです」 と話していた。

また娘が仙台フォーラスで働いていると言う70代の男性は、

「地域に根差した店なので、親近感があります。

ぜひ復活して欲しいと思います」 とこの様に話していた。

今回の仙台フォーラスの長期休業に伴って、


(店員一同、深々と挨拶をして、

静かにシャッターは降り、

39年間続いた営業は一旦休止に…。

このあと老朽化した建物自体の設備等の改修及び、

点検のため、長期休業に入った。)


実はもうひとつ忘れては成らない事がある。

それは同ビルの地下2階で、

前身の 『ジャスコ仙台店』 が開業した2年後の、

昭和52(1977)年から47年の長きに渡って営業を続けてきた、

中華料理店 『北京餃子』 がそれである。

食べ応えのあるボリュームたっぷりのメニューを提供していて、

学生や家族連れを中心に、

地元の人達に世代を越えて愛されていた。

仙台フォーラスの長期休業に伴って、

この場所での営業を終える事から思い出の味を求めて、

最終日直前まで連日の様に多くの客が訪れていたと言う。

40代の男性は、

「この場所での営業が最後と言う事で食べに来ました。

高校生の時から30年程通った店で安くて量が多い処が、

気に入っています」 と話していた。

50代の男性は 「学生時代にアーケードで遊んだり、

買い物したりした時によく食べに来ていました。

今日は当時の友人を誘って久しぶりに来ました」 と、

話していた。

この 中華料理店 『北京餃子』 は、

近くに移転して営業を続ける事が決まって折り、

山田英則店長は 「これまでのお客さんに対する、

感謝と同時に移転する事に寂しさを感じている。

移転先では今よりも更にパワーアップして、

頑張って行きたい」 とこの様に話していた。




( 宇和島藩家老・山家清兵衛衛公頼を祀る、

和霊神社 。上は愛媛県宇和島市の本社、

中は仙台市青葉区台原にある分霊、

下は更に分々霊で、仙台フォーラス屋上にある、

分霊社)


そしてもうひとつ忘れては成らない事は、

このビルの屋上に有名なパワースポットがある。

それが 一番町界隈の神社三社の内のひとつである、

和霊神社(われいじんじゃ) がそれである。

この神社、伊達政宗(だて まさむね) 公の長男で、

宇和島藩主である、伊達秀宗(だて ひでむね)の元で、

産業の拡充、民政の安定に手腕を発揮した、

家老・山家清兵衛衞公頼(やんべ せいべいきんより)が、

祀られている。

本社は愛媛県宇和島市にあり、

藩主が家老を祀った神社は全国に余り類を見ない。

仙台の和霊神社は 山家家が、

宇和島の和霊神社から分霊して、

屋敷内に社を建てたのが始まり と言われている。
昭和48(1973)年、立町通(現在の広瀬通付近)にあった、

和霊神社を仙台市北部の台原(だいのはら)に遷した。

その後、 “ぶらんど~む一番町商店街” 側から、

商店街の更なる活性化のため、

和霊神社分社の願いがあり、

今の仙台フォーラス屋上に、

和霊神社が鎮座 する事に成ったと言うのだ。
仙台七夕が始まる1ヶ月前弱の、

毎年07月19日と20日の二日間、

“マーブルロードおおまち商店街“『藤崎えびす神社』、

“サンモール一番町商店街”『野中神社』、

そして、 “ぶらんど~む一番町商店街”『和霊神社』 の、

3つの神社で毎年行われている下町情緒が漂う粋な祭。

えびす神社の神輿は、組み立てから担ぎ方まで、

江戸風で粋な気風を今日の仙台に伝え、

商店街を練り上げている。
若者が買い物序にこの神社に参拝したと言う、

若いカップルも多く、この神社の参拝がご縁で、

結ばれたと言うエピソードは数多い。


(仙台七夕が行われる前の1ヶ月前弱に、

一番町三社まつりが行われ、

商店街に神輿の渡御が執り行われる)


高度経済成長期の真っただ中、

映画産業が段々と斜陽化して行く中、

映画館が閉館した跡地に周辺の商店街を巻き込んでの、

再開発事業で立ち上がり、

前身の 『ジャスコ仙台店』 として開店し、

昭和~平成~令和と渡り歩き、

既に建物の耐用年数は50年近く経過しようとしている。

この間、宮城県沖地震、東日本大震災、

2度の福島県沖地震 に見舞われた。

前出でお伝えした通り、

建物自体の耐震工事は済ませているものの、

やはり経年劣化に伴う設備の損傷や、

建物の一部欠損は否めない。

現在より更に因り長期的かつ安全性を高めつつ、

綿密な建物の劣化状況も踏まえての、

再調査に至った事 は確かな様だ。

今回の一時休業で一番町界隈の人の流れが、

今後どうなるのか気に成る処でもある。

先般の 02月10日付けで管理者自身がアップロードした、

『官民連携、夜市で観光活性化構想』 の内容を、

執筆させて頂いたが、

これは今回の仙台フォーラスの長期休養に絡む事と、

実は大いに連動 している。

仙台市内に於ける商圏の人の流れが仙台駅周辺、

特に東口に集中しているため、

分散化処か一極集中に成ってしまっている 感があるからだ。

当然、市中心部に人が流れて来なければ、

それは商店街及び中心部自体の、

衰退にも繋がりかねないため、

“夜市構想” で以って、人の流れを取り戻す構想である。

仙台フォーラスの建物自体が今後どうなるのか?

再開時期は未定であるが上、

綿密な内部調査を経てからの結果公表に成るので、

かなりの時間を要する事に成りそうだ。

果たしてどの様な結果と相成るのか、

仙台市民を始め宮城県民及び、

フォーラスを利用していた東北各県の方々に取っては、

結果が気に成る処 でもある。   


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【動画関連】

『地元に愛される北京餃子の思い』

https://www.youtube.com/watch?v=wVNcO8RF38Q
〔khb 配信〕

『仙台フォーラス休業セレモニー』(関連)

https://www.youtube.com/watch?v=QAwO0w2A7aA

〔khb 配信〕
https://www.youtube.com/watch?v=qd8vYXe0KH8
〔OX 配信〕

https://www.youtube.com/watch?v=laTwwh75PO8

〔tbc 配信〕

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【ウェブサイト】

『仙台フォーラス』
https://www.forus.co.jp/contents/app/sendai/
『北京餃子』

https://twitter.com/Pekin_Gyoza

https://funada.jp/

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JG7MER / Ackee