今月に入り最初のBlog更新である。
前出の旅Blog関連の連載に伴い、
既に1ヶ月近くも話題が逸れてしまう形となり、
読者の皆様にはご迷惑を掛けてしまう形となってしまった。m(_ _ )m
既に読者の皆様方もご承知の通り、
本県出身である、楽天・斎藤 隆投手の現役引退が、
先般、08月17日に楽天球団事務所内の記者会見で行われた。
同郷人として、『とうとう来るべき時が来た。』
と言った心境になったが、
やはりいざ引退となれば、
寂しさは隠し切れないものである。(´・ω・`)
(今季<2015>限りで、現役を引退する事を発表した、
斎藤 隆投手。(_ _。)) <楽天球団事務所内にて>
記者会見の席上で、開口一番斎藤投手は、
「今シーズンを持ちましてユニホームを脱ぐ、
決断をした事を報告します。
引退を決意しました。今は晴れやかな思いでいます。」と挨拶。
記者団からの質問に対して理由を聞かれると、
「一つという事ではない。幾つか要因がある。
チームがこう言う状況で1軍の力になれない現状。
至らないと判断されているパフォーマンス。
色んな意味で引き際は今ではないかと思った。
(引退を決意したのは)この打席、このマウンド、
誰の打席というのはパッと思い浮かぶのはない。
ジワジワと来ていたというのだけは間違いないと思います。」
と話した。
引退を決意したのは「つい2週間前(08/02~08/08)。
チームや自分の状況を考えて、辞める理由が見つかった。
シンプルに答えが見つかった気がします。」と振り返った。
(記者会見上では、時折笑顔も…。
プロ生活24年間やり遂げた事への満足感。
そして、生まれ故郷・仙台でユニフォームを脱ぐ事
への万感の思いも…。(-。-;))
また記者会見の中で、斎藤投手は、
「若手のために、道を譲った。
若手の出場機会を潰さないためにもと、
シーズン中に身を引く決断をした。」とも語った。
斎藤投手自身も、後進に道を譲る覚悟も出来た。
20代が中心の投手陣。声を掛け、飲みに誘った。
楽天移籍1年目には則本にフォークを教え、
守護神に転向した松井裕には体のケアの方法を伝授した。
ブルペンの精神的な支柱として、経験を惜しげもなく伝えた。
だからこそ戦力にならず、
彼ら(若手)のチャンスを潰しているという思いもあった。
しかし、敢えての鈍感力を持った。
分かっても分からないふりをして、
やれることを突き詰めてやってきた。
でも無意識に託す物が出たと選手としての未練より、
若手指導の責任が勝った。
今後の去就について斎藤投手は、
「ゆっくりする時間をちょっと頂いて、
9月位から練習のお手伝いや、
自分の軽い調整をして行きたい。」と話した。
引退試合は「球団の方から是非とお話しを頂いているので、
これからお話しして、お任せしたい。」とした。
楽天球団は人望の厚さ、指導力を評価し、
将来の監督候補として期待。
引退試合は、来る10月04日の対ソフトバンク戦で、
現役最後の登坂を予定している。
(斎藤 隆投手の引退試合関連サイトは、
こちらになります。)
http://www.rakuteneagles.jp/news/detail/5682.html
楽天球団は、平成25(2013)年日本一の功労者に、
最大限の敬意を払う準備をしている。
斎藤投手は「お世話になった分を恩返しすることはお約束します。
今はゆっくりしたい。温かく見守って頂けたら。」と笑顔で話した。
今度は、何時の日か『指導者・斎藤 隆』として帰ってくる日を、
(会見後、球団女性職員から花束を受け取る、
斎藤 隆投手。(・∀・))
斎藤 隆投手は、東北福祉大学から平成03(1991)年に、
ドラフト1位で大洋(現DeNA)に入団。
先発、中継ぎで活躍し、
平成10(1998)年、横浜(現DeNA)の38年ぶりのリーグ優勝、
日本一に貢献し、優秀選手賞に選ばれている。
平成18(2006)年にメジャーに挑戦。
ドジャースでクローザーを務め、1年目には24セーブ、
2年目には39セーブを挙げる活躍を見せた。
その後、レッドソックス、ブレーブス、ブルワーズ、
ダイヤモンドバックスと渡り歩き、
平成25(2013)年に地元・仙台の楽天で国内に復帰。
同年は30試合に登板し、チーム初の日本一に貢献した。
若いチームの投手陣を豊富な経験で支え、
精神的な存在として楽天ブルペンを盛り立てた。
震災復興に関しても「東北が熱くなるのならば、
グラウンド外でも何か出来る事があれば全力でやりたい」と話し、
東北への恩返しを胸にプレーをしていた。
引退については周囲には相談せず、自身で決意した様子である。
日米で活躍し、2007年には米オールスターにも出場した、
本県出身の名クローザーが、
今季限りで現役生活にピリオドを打つ。
(記者会見を無事に終え、
壇上から記者団に深々と挨拶をする、斎藤 隆投手。
今後は 『指導者・斎藤 隆』 として、
現場復帰する事を地元ファンは期待をしている。(^-^)/)
【1998 日本シリーズ第2戦 『横浜(YB) VS 西武(L)』】
■…日本シリーズ第2戦に先発登板した、
横浜在籍当時の斎藤 隆投手の力投です。
9回表の攻防をごゆっくりとご堪能下さい。
最後に打ち取るバッターは、なんと現在同じチームメイトである、
松井 稼頭央選手です。\(゜□゜)/
https://www.youtube.com/watch?v=TwXY10yAJeY&feature=related
■…こちらは、日本シリーズ第2戦で、当時の横浜のチームメイト、
鈴木 尚典(すずき たかのり)選手と一緒に、
インタービューを受ける斎藤 隆投手です。(^-^)/
https://www.youtube.com/watch?v=7kavz9fCtzk&feature=related
【斎藤 隆投手 現役時代思い出のフォト集】
(1991年のドラフトで、
大洋<現 DeNA>から1位指名を受けた、斎藤 隆投手。
左側は、須藤 豊監督<当時>。)
左側は、谷繁元信捕手<現 中日監督謙捕手>。)
勝利者インタビューに応じる、斎藤 隆投手。)
シーズン当初から、抑え中継ぎとして、フル回転。)
球団創設9年目で日本一を獲得。
ファンと共に、雄叫びを上げながら、
歓びを分かち合う斎藤 隆投手。)
【斎藤 隆(さいとう たかし)投手 プロフィール】
昭和45(1970)年02月14日、宮城県仙台市生まれの45歳。
東北高校3年の時、夏の甲子園大会では一塁手として出場。
東北福祉大学2年の時に、
伊藤義博監督(当時)の奨めにより、野手から投手に転向。
平成03(1991)年ドラフト1位で大洋(現DeNA)に入団。
平成08(1996)年に最多奪三振のタイトル獲得。
平成10(1998)年には13勝を挙げ、38年ぶりの日本一に貢献した。
平成18(2006)年にドジャースに移籍し、レッドソックス、
ブレーブス等5球団で7年間プレー。
平成25(2013)年に楽天に入団。
昨季(2014)、44歳4ヶ月でプロ野球史上最年長セーブを記録。
1m88cm、90kg。右投げ左打ち。背番号は、44番。
メジャーリーグ時代の愛称は”Sammy”。
■…斎藤 隆投手の引退記者会見での、
記者団との詳細コメントはこちらです。(17-AUG-2015 / Update)
http://www.rakuteneagles.jp/news/detail/5614.html
【動画による引退記者会見】
https://www.youtube.com/watch?v=jrTXrmPWkz4&feature=youtu.be
■…斎藤 隆投手関連のBlogは、
当 Blog Siteでもご紹介しています。
「斎藤 隆投手、『楽天』へ入団 !!」 (12-JAN-2013 / Update)
http://ameblo.jp/superexpress-inuwashi/entry-11447192058.html
■…斎藤 隆投手のBlog Siteはこちらです。
『斎藤 隆のChallenge Blog』
http://blogs.yahoo.co.jp/takashi_saito_blog
■…斎藤 隆投手の年度別、成績一覧表はこちらです。
http://www.rakuteneagles.jp/team/player/detail/44.html
【東北楽天ゴールデン・イーグルス】
http://www.rakuteneagles.jp/
JG7MER / Ackee