国宝級・女性セーラー丹羽さん | す~でらトーク

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豪華帆船 SUPER DELUXE号のキャプテンが、海や街を航海するおはなし。                  写真は的矢湾

ヨットの科学という勉強会に参加するため

夢の島マリーナまで行ってきました。


この会は、ヨットデザイナー 大橋且典氏が主宰されている

勉強&講演&懇親会です。

http://www.ohashi.biz/


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左が大橋先生。

久しぶりの再会です。

かつて、ベンガル2、ベンガル7(47f) エピキュリアン

バンガード を生み

現在は岡崎造船のヨットをデザインされています。


今回の講師はチタグループのリーダー

丹羽由昌氏(故人)の奥様であります。

日本人で初めての外洋女性セーラー


写真はパールレースの前夜祭でスピーチする

丹羽様 (2009年 50回大会)


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主題は「チタ物語」


おそらく「チタ」と聞いてピンと来るのは

1960~1980年ころにバリバリのヨットマンのはず。



その時代、名古屋で第1号の外洋ヨットを建造された。

外洋ヨットといっても21f

外洋レースができないかと さまざまな航海をテストされて出来上がったのが

パールレースです。

当時は21fでも最大級の船でした。

写真は第一回パールレースの模様

良く見ると トラピーズしてるのがわかる。


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チタⅠ世は第一回鳥羽レース優勝。(1960)

Ⅱ世は日本での正式なる渡航手続きをしたヨットでの太平洋横断第1号艇(1964)

トランスパックレースに参加、(1964)

第1回八丈島レースで優勝。(1967)

同Ⅲ世は太平洋を周遊、トランスパックレース参加、(1969)

チャイナシーレース優勝。(1970)

第1回沖縄レース優勝。(1972)


このように、日本の外洋レースをつくってこられたのが丹羽夫妻。

その後ご夫妻は株式会社チタ(ヨットビルダー)を設立。

同社はオセアンシリーズ、ピーターソンシリーズなどのベストセラーを輩出し、

日本の外洋ヨット界黄金時代の一翼を担いました。

徳子氏自身の航海歴も多彩です。

第一回鳥羽レース優勝。

メルボルンー大阪ダブルハンドレースに2回出場。

その他多くの外洋レースに出場。

クルージング歴も豊富で、 北太平洋、南太平洋、アメリカ、カナダ、

ニュージーランド、 等々と広範にわたっています。

特に外洋クルージングについては現在も現役続行中。

現在JSAF外洋東海名誉会長 76歳


心に残った言葉は


夢があるから行動するしかなかった。

夢を実現するため船を造った。

船を造ってからの夢ではない。


また、驚いたのは 失礼ながら76歳に御成りの

丹羽さん、トークで出てくる年号や日時は メモを見ることなく

まるで昨日のようにスラスラと。。。。。これには感服

そして気品高いトークで聴く人を魅了いたします。

いつまでもお元気で。


それから、このチタ三世は 私の実家近くで最後をとげられ

現在は海の底に眠っています。

私は遺品として ウインチをひきあげ 今なお持っております。