真珠から牡蠣へ・的矢湾の歴史  | す~でらトーク

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豪華帆船 SUPER DELUXE号のキャプテンが、海や街を航海するおはなし。                  写真は的矢湾

的矢という名をご存じの方
その方々はきっと牡蠣(かき)グルメであろう。
無菌牡蠣として真に生で食べてよい
ブランドである。

(三重県志摩市磯部町的矢)


的矢牡蠣が有名になり出したのは、私の記憶が正しければ

それは昭和45年くらいからではなかったか?


それまでの的矢は真珠養殖で栄えてきた地であった。

特に昭和35年までは全盛期で 志摩では英虞湾についで

盛んであった。


その全盛期に的矢湾最大の養殖規模を誇ったのが

祖父 磯和楠吉 であった。
やがて、株式会社日本パール へ
発展していく。

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磯和楠吉 (1904~1970)


祖父は、自らが海洋学者であり当時、独自の研究により

成功した人物でる。

的矢かきを成功させた 佐藤忠勇氏とは一緒に研究をした

仲間である。


祖父の論文は今なお 国会図書館に保管されている。

http://ci.nii.ac.jp/naid/40017793353


学問的なことは私はよくわからないので

省略するとして、

そのほか当時では画期的なアイディアで成功している。

物資の運搬である

今のように宅配便の無い時代に

自前で貨物船を造り 宮崎 山口 宇和島を行き来しては


生きたまま真珠の母貝を輸送したことがあげられる。

それも当時最速の船だったと聞く。

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運搬船 神通丸 (じんつうまる)

伊豆 安良里 で建造された木造110feet


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伊勢湾台風では 村の多くの屋根瓦が飛び

住居が修理できなく困っていた。

当時は大型車両も入れなかったので活躍したのがこの神通丸。

屋根瓦を輸送したとある。


私が小学6年のころまでは家の前に浮いていたが

その後 廃船となる。

思い出がたくさんある美しい木造船でした。