頑張ったのにご褒美なし?!→脱・サラリーマン発想へ
子どもは「頑張ったらご褒美が欲しい」と
思うものですが、その原因は主に親が
そういう躾をしているからかもしれません。
家のお手伝いでも・・・学校の勉強でも・・・
近所へのお使いでも・・・子どもが自ら率先
して何かをしているのではなく、半ば親の
言いつけによってそれを行なっているうちは
「頑張ったらご褒美をあげるよ/もらえる」と
いう図式が出来上がっているからそうなって
いるような気がします。
・・・・・・・・
大人になって、自分で自分に「頑張ったら
ご褒美あげる」を前提に何かに注力する
ことは決して悪くないと思います。
人間誰しも「ニンジンをぶら下げる」ことは
強い行動動機になります。
ただ、第三者の人が「あの人はあんなに
頑張ったのに何ももらえないなんて・・・」と
他人のご褒美ナシを嘆くのはちょっと危険
です。
頑張ったのにうまくいかず可哀そうだ・・・
という憐みの発想は、「頑張ったらご褒美が
もらええるものだ/もらえて当然だ」という
サラリーマン的発想の裏返しです。
「ご褒美をもらえる」という考え方そのもの
がビジネスマンではなくサラリーマンの発想
であり、人に使われる(雇われる)人の発想
だと言えそうです。
経営者やビジネスマンは「頑張ったのに・・・」
という考え方はしません。
ビジネスにおいては「結果がすべて」を
重視していないと生き残れないからです。
頑張ろうと頑張らなかろうと「得られた結果」
に対して正当なご褒美(報酬)を求めるのが
経営者/ビジネスマンの発想であり習性です。
結果ではなく、費やした時間や労力に対して
ご褒美を期待する姿勢は、無意識のうちに
「ご褒美をくれる誰か(≒会社や上司など)を
想定」してしまっています。
経営者資質の持ち主にはそれがありません。
経営者には「働いた時間に対してご褒美を
くれる誰か」なんていません。
株主が要求するのは「結果(業績)」で
あって、経営者が何時間労働したか?・・・
なんて一向に気にしません。
ご褒美を期待することがいけないのではなく、
何に対してご褒美を期待するか?が大事な
ところです。
コロナ禍においてはますますこうした
「脱・サラリーマン発想」の姿勢が大切に
なっていくように思えます。