先日、図書館から借りて読んだ本。
迫力満点の情報満載の認知症介護小説。
「介護する側」と「介護される側」。
それぞれの視点で描かれた医師作家の作品。
作品、概要。
認知症 (レビー小体型) になり、
徐々に自分がおかしくなっていくことを、
自身が中途半端に自覚し、
迷惑かけぬよう努力もしている。
心細さ、情けなさ、惨めさ、恐怖心等。
日記が切なかった。
で、その中で。
耳が悪いわけではないのに、
話している内容が理解できない描写があった。
その部分。↓
この「・・・・・」の部分が聞き取れない。
だから何を言っているのかわからない。
そう。
感音性難聴者は、
いつもこんな風に聴こえてくる。
音としては聴こえているけど、
ところどころが聞き取れず、
聞き取れている前後の言葉で、
絶えず推測をしながら生きている。
人と会うと疲れるのは、
脳をフル回転させているから。
なのに聞き取れていなくて、
情報が入らず、信用を失ったりする。
コミュ力が低くなって当然だ。
難聴者が認知症と間違えられやすいのは、
こういうところからきているのかな、
と思ったりもした。
それと、今クールのドラマで。
主人公はコインロッカーベビー。
赤ちゃんの頃、(出産してすぐ?)
コインロッカーに捨てられていた。
通りすがりの人が泣き声に気付き、
無事、助けられた。
どのような幼少期を過ごしたのかは
まだわからないけれど、
産婦人科医になった。
そして、その時の後遺症なのか?
片耳難聴というハンデがある。
難聴側で誰かが話すと、
音さえ聞こえてないような描写がある。
ほぼ失聴に近い難聴設定なのかな。
でも、すぐ隣にいるのだから、
健聴の耳の方で聴こえて来ると思うんだけど。
会議 (カンファレンス) などでは、
うしろの方の席でも聞き取れている。
ちょっとした独り言も、
聞き取れてることもある。
なのに、隣の人には
「こっちから話して!」と。
設定ぶれぶれのような気がした。
出自がわからないだけでもハンデなのだから、
片耳難聴設定は要らなかったんじゃないかと。
でも会議のあと、
「全部聞き取ろうとするとどっと疲れるので、
断片的に聞いてました」
というようなことを言ってた。
あ~、これは私も同じ。
人の話しを聞き取ろうと頑張った日は、
家に帰るとぐったりすることがあるから。
難聴設定はちょっと思うことがあるけど、
良いドラマなので、最後まで観るつもり。




