コーダ(CODA, Children of Deaf Adults)
親が聾者 (難聴) で、子供が健聴者。その子供の方を、コーダ (CODA) というらしい。コーダ(CODA, Children of Deaf Adults)とは、きこえない・きこえにくい親をもつ聞こえる子どものことを指す。両親ともに、もしくはどちらか一方の親だけがろう者・難聴者でも、聞こえる子どもはコーダとされる。ヤングケアラーの聴覚障害版みたいな解釈なのかな。NHKドラマ「しずかちゃんとパパ」を観て、コーダ (CODA) のことを知った。パパは聾者、しずかちゃんは健聴者だ。観ている人達の感想は、毎回毎回、感動して号泣。私も勿論、素晴らしいドラマだと思った。ただ、ドラマのはしはしにある描写を切り取ってしまって、きこえにくい当事者からすると、モヤモヤする点も多かった。まず。うちの子供達は、コーダだったのか…。ヤングケアラーだったのか…。と、改めて思ってしまったこと。また、健聴者からすると、耳がきこえない人は、音楽は無理、楽しめるわけがない。だから、音楽の話しはしないでおこう。自転車も乗らないし、乗れないだろう。耳がきこえないのに、自転車に乗ってる人がいると知ってびっくりだ。1対1で話すのは誰しも嫌だ。話すのにひと手間かかるから嫌だ。話し合いに骨が折れるから苦手だ。耳がきこえないなんて「かわいそう」。(ひそひそひそ...)いつもいつも「かわいそう」と言われてきた。聾者が1人で過ごす時の世界は、深い海の底。このような描写があって、辛くなった。今もなんか辛い...。そんな風に思われているのかと、改めて感じたから。また、私のような難聴者は、自分で自分をケアしているから、セルフコーダ (CODA) でもあるんじゃないかと思った。コーダ (CODA) のしずかちゃんは、他人の表情や態度で即、人の気持ちを察してしまう。先読みして行動してしまう。気が利きすぎる。気がつきすぎる。そのせいで、いい人ぶってるとか、うざいとか言われて (思われて) 嫌われてしまう。あ、これ私だ、と思った。私も、少々、生きづらいくらいに、人の気持ちを察してしまう。そして、見過ごせなくて行動してしまう。そして、嫌われる。嫌われたことも、すぐ察してしまう。もっと鈍感になろうと思っても、なかなか難しい。一瞬で周りを観察できてしまうから。人の気持ちに気づいても全部やらなくていい。自分がしたいなと思うこと、自分が無理なく出来ることだけやればいい。それくらいにしておけば、あれもこれもしてあげたのに…なんてモヤることもない。気遣いも行きすぎると却って窮屈。そこそこくらいがちょうどいい。鈍感力を身につけたい。しずかちゃんとパパが喧嘩した時の、しずかちゃんの台詞の一部。「聞こえないお父さんを助ける。親孝行なしずかちゃん。それ以外やったことがなかったから、だんだんどうすれば良いか分からなくなってきた。何が言いたいのか、何をしてほしいのか読み取って、それやって正解して、喜んでもらえたら安心して。(パパが) 聞きたくない、楽しくいるってことは、嫌なことから逃げるってこと?いつもそうじゃん。いいよね、聞こえないって。目をそらしたらさ、嫌なことが見えなくなるだけじゃなくて、何にも聞かなくてすむもんね。」しずかちゃんのパパは、生まれつきの聾者だけど、本当に楽しく明るく図太く生きている。健聴者に、「どうしたら楽しく生きられるのか教えてほしい」と言われるほどに。そして、「その人がかわいそうかを決めるのはその人だけ。勝手にかわいそうと決めるのはよくありません。」と、学校の先生が児童達に教えていました。そう、かわいそうとか、不幸とか、幸せとか、そういうことは人が決めることではない。自分の心が決めること。自分を含めて、耳がきこえない、きこえにくい人達は、不便はあっても、別に不幸ではなく、むしろ楽しく明るく、幸せに生きていると思ってる。これからも気楽に、楽しく生きよう♫