自分に自信を失くし夢に破れた私は、
規模が巨大な職場に身を置きました。

大勢の中でもくもくと働ければ、

もうそれでいいと思うようになりました。

もくもくと働くと言えども、
色んな場面で職場の人との

コミュニケーションが必要です。


ある時。

 

私の母親と同じくらいの、当時40代の女性社員。


「ほら、○○さんってつんぼでしょ。ハハハハハハハ」

 

と、私に聞こえるような大声で

周りの人に言ったのです。

どうやら、

健聴者なら聴こえるくらいの小さい声で、
ちょっと離れた場所から

私の名前を何度か呼んだらしいのです。

私は聴こえなかったから振り向かなかった。


それを何度か試していたようです。

私は反論できなかった。


苦笑いしてごまかすしかできなかった。

その後もその女性社員は、
何度も小さい声で少し離れた距離から

色々話し掛けてきたりして、


聞き取れない私のことを

笑っていることはわかっていました。

そんな私を見て、


「そういうことするもんじゃないよ」

 

と言ってくれた先輩達がいました。

今思えば。

 

みんな私の難聴に気付いていたんでしょう。

「○○さんはもしかして耳が遠いの?」

 

と、こっそり聞いてくれた先輩には、

 

「はい」と言えました。


しかし、だからどうして欲しい、

どう接して欲しいなど、
明確なことは言えませんでした。


部署が変わっても、

同じようなことをして試して、


「○○さんって、耳が遠いんだねぇ」

 

と、ニヤニヤと笑いながら話し掛けてきた、

同年代の女性社員もいました。


勿論、耳が遠いことは事実で、

本当のことを言われたまでです。


隠しているわけではなくて、

あえて言わなかっただけ。

仕事にはそれほど影響も出ていませんし、
迷惑は掛けていないと思っていました。


そう思い込んでいただけかもしれませんが。

そう言えば男性社員からは、

そのようなことをされたことは、
一度もありませんでした。


人の欠点を笑うと言う卑屈なことは、
やはり女性同士だからなんでしょうか。


難聴って馬鹿にされなきゃならない障害なのでしょうか。


名前を呼んで聴こえてなくて

振り向かないこと。


そんなに面白いんでしょうか。

志村けんさんがおばあちゃんに扮して、
耳が遠いリアクションのコント。


耳が遠いことで笑いが取れるってことですよね。

つまり。

 

馬鹿にしても良いってことでしょうか。

難聴者以外にとっての難聴への理解度は、
ハゲやデブで笑いを取っている芸人さん達と

同じような感覚の障害なんでしょうか。

笑い飛ばせればどんなに楽か。


聾の方々は、

幼いうちから手話での会話を習得しますし、
難聴者よりは障害が理解されやすいためか、
馬鹿にする人はいませんよね。

むしろ音のない世界で頑張る姿に励まされるとか感動するとか。


手話を習って社会との架け橋を作りたい、


などと思う方々もいらっしゃる。


難聴者は手話などの教育を受けて来なかった人がほとんど。


音も聴こえるし、

環境と声の質によっては

聞き取れていることも多い。


ゆえに言葉の習得もできていますから

話すことができる。

理解が得にくく、誤解も多い。


そう言えば、子供の頃。

 

母親の言ってることが聞き取れなかった時。


「つんぼ」

 

と怒鳴られたことがありました。

時代も関係しているかもしれませんが、
私の親世代は、

私のくらいの聞こえの悪さくらいは、
たいしたことないと思っていたんでしょう。


難聴は耳の聞こえが悪いだけではないこと。

対人関係やコミュニケーション能力。


耳から入る情報。

それらが少しずつ欠けてしまい、

それによって自信を喪失したり、
偏屈な考えを持ってしまったり、

 

気持ちが歪んでしまったり、
生きていく上で、

様々なことに支障が起こる。


私の両親は難聴から生ずる支障について、

理解がありませんでした。


だから私は成人するまで、
自分の能力を勘違いしていたのかもしれません。

難聴なんてたいしたことないから、
頑張れば普通の人と同じように、

何でもできると。


社会に出て自分の能力の限界を知り、
意地悪な人に出会ったことで、


難聴から生ずる様々な支障をやっと理解しました。