発症から診断までの経緯②
産後徐々に、徐々に身体の痛みがひどくなり、身体が動かなくなって、高熱も始まって、ついに、どうしてだか歩けなくなりました。どうしても、自分の足で歩けない。歩けない。もちろん、食欲もほぼ無い。体中痛いような、動かないようなで、家ではかろうじてリクライニングできるソファーにダラーっと横たわっていられる程度。悪寒が凄まじくて、北極の氷の中で凍らされたかのようで、前進の震えと、歯の震えがガチガチと止まらず、その後必ず40度越える高熱がガガーっとあがって、大量の発汗と同時にすすーっと引いての繰り返し。 どうみても非常におかしい状態。でも、その時私の頭にあったことは、’赤ちゃんに母乳あげなくっちゃ、私が食べないと赤ちゃんに母乳あげられない...’だけ。そこに必死でした。ウオークスルーという受診方法で別の医師にも診察を受けました。ウオークスル―は予約無しで、先着順に診察してもらえる制度です。そこでは「ティックかも」と。 ティックは北米特有の害虫で、芝生や植物に生息して、それに噛まれると高熱や立てられなくなったりすると。でも、それは主に夏頃の虫。私が受診したのは5月頃で、ましてずっと体調の悪い妊婦だったし、「草が茂るようなところに行っていません」と言っても、この検査をしなければ、次の検査は何もできない と言われ、、、。嫌々テスト受けました。結果やっぱり問題なし→原因不明。そこで、病院のグループから変えて違う病院に。東洋系の医師に巡り合いました。この先生はとても良い先生で、熱心に診て下さり、色んな検査検査して、その時、とりあえずってことである抗生物質を出されました。ところがこれが最後の一撃になることに。。。。その薬飲んだら、激しい嘔吐下痢が止まらなくなって、まさに何も飲めない食べられないの状態に。。。。(後で分かったことですが、スチル病になると同時に、様々なものにアレルギー反応が生まれるそうです。たぶん、私それだったんだと思う。)それでも、私の頭の中は’赤ちゃんに母乳を、、、、’だけでなんとか母乳絞り出せないか弱り切った身体で奮闘していました。その週の土曜日だったか日曜日だったか、その医師から電話があり「今すぐICUに行きなさい!血液検査の結果がひどすぎる❕❕」と切迫した様子で。アメリカの医師なのに週末に電話くれるなんて、よっぽどなんだなーと、どこか緊急事態が他人事のよう、夢の中のようなことに思えていました。でも、家族はまさに大慌てで、ドクターが話しを付けてくれている大病院のICUに、今すぐいくぞ❕❕ちゃんと診てもらえるところにつながって良かった、良かった、としきりに言っていて...。そんな切迫した時でも、当の私は、「いやいや、私は大丈夫、赤ちゃんいるし。家に居ないと」と繰り返して抵抗していましたが、強制的にICUに運ばれて、、、あれよあれよ、、、でした。これが産後3週間目のこと。到着したら、話は全部ついていて、シルバーの台に乗せられて、あっという間に運ばれて、沢山のコメディカル陣に囲まれて色々処置やら、検査やら、、。抵抗もできないし、何が何だか、、、。もうどうなってるの???って感じでした。本当にぼんやりする頭の中で理解を超えるような事態に自分が陥ってて。私って、アメリカで、ICUにいるの??なにそれ?どうなっているの??って感じでした。次々と検査を受けてICUの個室に運ばれた時には、色んな管やらと機械が私と繋がっていて...。私、肺やらの臓器系の活動も3分の1に落ちていたらしくて、酸素マスクもついていて。呼吸できてなかったって。呼吸もほとんどできていない状態だったなんて、本当に自分ではわからなかった。ただ、しんどいな、、、と思ってただけ。それよりも、何よりもいつも赤ちゃんに母乳をあげることが私には最優先事項だった。今でも振り返って思うのですが、主治医に聞いても、スチル病自体が稀すぎて、はっきり回答がないのですが、、スチル病の発症時って、こんなに身体が爆発したみたいに全身おかしくなりましたか?なんで、あんなに、どうやっても歩けもしないように急になったのか、謎で、わかりません。みなさんは発症時、どうでしたか、、、大いなる疑問です。