実験作その2【20190609】(平面?立体?)作品解説と制作過程 | スーパーオニオン アートでリアルでユーモラスなフィギュア

スーパーオニオン アートでリアルでユーモラスなフィギュア

2013年より主に美少女フィギュアを制作していたが、コロナ禍を機に作風を見つめ直し、2023年からはオリジナル作品<動物と人間を題材にした、少しユーモラスで寓意的なリアル系フィギュア>を創作。SNS、デザフェスなどのイベントで発表中。

【ボクらのメモリアル2020】に引き続き、「平面と立体」「抽象と具象」「無意識と意識」というテーマの作品。

皿に入れたシャバシャバにした油絵具を何も考えずに爪楊枝で弾いたり、垂らしたり(偶然?故意?)して描き?、
その後、デジタルで大きさや形を変えた数種類の傘を制作、出力してサイズを試行錯誤しながら、位置などを決めていきました。
3本というのにも意味があります。


この作品も「ボクメモ」(「ときメモ」みたいに言うな)同様、何も考えずに作ったはずなのに、どうも自分の考えていることが無意識に反映されているんじゃないか?と疑念を持ち始めた発端になった作品です。
 

 

 

昨年12月に周庭氏がカナダに亡命したニュースを知って、ブログに書いていたせいか、あるいは香港の件をいつか作品にしたいと思っていたからなのか、塗り終わった絵を眺めてみると2019年6月にテレビで流れていた香港で起きたデモの様子を思い出しました。

 

 

 

 

 

もちろん2019年6月9日のデモの写真を見てみるとこんなにカラフルではなかったようですが、それ以前の雨傘運動の様子もテレビで流れていたり、夜まで続くデモを照らし出していたライトの光や民間人と警官などの衝突などなんとなく混沌としたカラフルなイメージを持っていました。


それと同時に思い出したのが、色を塗り終わりそうな頃に「黄色が足りない、黄色が足りない」とずっと思いながら、黄色を足していたということ。
もちろんその時にはデモのことは頭になく、ただ全体の色を見て、黄色が足りないと思っていたと思います。

「ボクらのメモリアル」とこの作品といずれ発表すると思いますが、もう1作品、完全に無意識なのに自分の考えが反映されていると感じる作品があります。


「なぜ無意識なのに自分の考えが反映されていると感じるのか?」自分の推論としては


1.木や石などが人の顔や意味のあるものに見えるパレイドリア現象のように自分の知っている(関心のある)ものを当てはめているだけ

2.無意識と思っていても、実際は気づかない(自分では気づけない)意識があって、作品になるように自分の身体を動かしている

3.実は無意識と自分に強引に思い込ませて、意識的に作っている

4.神が描かせている


個人的には1か2だと思っています。

3はすでに意識的に作っている作品(今後発表予定)があるので、取り立ててこの作品をそういう作品にする必要がないとは思っています。

4は信仰心のないまるっきり自堕落な生活をしている自分にはなんとも分かりませんが、2の状態がそんな感じに思う人もいるのかな?と思ったりもしています。


他のテーマの作品も同時進行で作っているので、どういう順番で完成するか分かりませんが、制作する際の「無意識と意識」というテーマは今後も探究していこうと思います。