なにかを得ようとすれば (自由ということ) | スーパーオニオン アートでリアルでユーモラスなフィギュア

スーパーオニオン アートでリアルでユーモラスなフィギュア

2013年より主に美少女フィギュアを制作していたが、コロナ禍を機に作風を見つめ直し、2023年からはオリジナル作品<動物と人間を題材にした、少しユーモラスで寓意的なリアル系フィギュア>を創作。SNS、デザフェスなどのイベントで発表中。

隠喩や寓意、風刺などを取り入れた作品を作るようになって、「意味が分かるか?」と「見た瞬間に良いと思えるか」、

要するに「デザイン」と「意味」のどちらを優先すべきかで悩むことがよくあります。

 

たとえば現在作っているマシン↓

何を表しているか分かるでしょうか?

 

排気ポンプの下に機械装置でco2と書かれてあります。

個人的にはもう少しカッコよくしたいし、もっと装置を配置したい。

でもそれをやってしまうとco2という文字に気づかれない可能性がかなりある。

ミレニアムファルコン号に機械や装置で文字が形作られていても、誰も気づかない、そんな感じです。

 

映画や漫画なら物語でいくらでもメッセージや意図することを盛り込んだり、補足することが出来ますが、一枚絵でそれを表そうとするとどちらかを優先するしかない。

 

時間を掛けて、何回も試行錯誤を繰り返せば、デザインも意味合いもバランス良く出来る可能性もあるにはありますが、それをやると今度は他の部分も時間を掛けて密度を上げないとおかしくなる。

全体のバランスがおかしなことになってくる。

そしてその作品に時間を取られて、今度は他の作品が作れなくなる。

 

さらに自分の場合は油彩で塗装するというとんでもなく乾燥時間がかかるものが控えている。

原型ばかりに時間を取られても、塗装する時間がなくなってしまう。

ラッカーで塗装をすれば、乾燥時間も100分の1くらいに縮められるし、時間も出来る。

でもラッカーではもう物足りないし、油彩の魅力を知ってしまった。

 

なにかを得ようとすれば、なにかをあきらめなくてはならない。

自分のヘンテコフィギュアの「デザインと意味」どちらを優先するかの悩みなんて較べるべくもないが、香港民主化運動の周庭さんがカナダに亡命した。


人生は常になにかの判断を迫られている。。。

些細な事でも大きな決断でも、自分で判断し、それによって人生は大きく変化する。

だからこそ面白い!

だってそれは自由ということだから。