ネットニュースはなぜ記憶に残らないのか?~『あなたへのおすすめ』に生きる世界 | スーパーオニオン アートでリアルでユーモラスなフィギュア

スーパーオニオン アートでリアルでユーモラスなフィギュア

2013年より主に美少女フィギュアを制作していたが、コロナ禍を機に作風を見つめ直し、2023年からはオリジナル作品<動物と人間を題材にした、少しユーモラスで寓意的なリアル系フィギュア>を創作。SNS、デザフェスなどのイベントで発表中。

最近、時事ネタが絡んだ作品作りが多いせいか、ネットやワイドショーのニュースに目がいきます。
直近の話題だとジャニーズ事務所の70年に亘る性加害とそれについてのマスメディアの沈黙が問題になっています。

新聞を取っていないので、主にネットニュースで読んだりしていますが、自分の時事問題への関心が以前よりも早い速度で移り変わったり、すぐに薄れていくように感じています。
ネットニュースをたくさん読んでいたはずなのに、数時間前に何を読んでいたのか、覚えていない時さえあります。
老化現象?と思ってみたりするけど、たとえばYoutubeで科学の解説動画とか視聴するとそれは覚えていたりする。
なんでなんだろう?と考えていくうちに、色々と妄想が膨らみ始めたので、つれづれなるままに書いてみようと思います。

【交通機関から消えた新聞おじさん~ネットニュースによる情報の均一化】

ネットニュースなどのサイトを見てみると横書き1段の同じテキストサイズの見出しがほぼほぼで、興味のあるものをクリックして初めて記事の分量や詳しい内容が分かる状態になっています。
見出しも例えば「YouTuberの登録者数が5000人減った」の次に「株価が下がった」その次は「年齢のいった女性タレントが女子高生の格好をした」「海外で軍事侵攻があった」などなど、
重要度なのか、時系列なのか、見ている人が喰いつきそうな、いわゆるつりと呼ばれるものをランダムに入れているのか、分かりませんが、「適当に興味ありそうなニュース並べるから、勝手に読んでね」、と言わんばかりのごった煮状態です。

スマホが普及する15年くらい前まではバスや電車などで大人たちが新聞や雑誌を読んでいるのをよく見かけました。
子供の頃を思い出してみても、新聞の1面の見出しのインパクトはすごかったなと・・・。
自宅で父親が読んでいる以外にも、日本列島中のバス、電車の中では大人たち(ほとんど男性)が縦55㎝横40㎝(広げてみている人はなんと横80㎝)もある大手数誌の新聞の紙面に見入っていて、そして読み終えた新聞や雑誌などは降りる時に電車の網棚に置いて、それをまた他の人が読んでいたりしました。
小学生の時、バス通学だった自分は景色ぐらいしか見るものがなかったので、隣や前のおじさんが読んでいる新聞が嫌でも目に入ってきますし、新聞1面に大きい文字でデカデカと載る記事は何か大変な事が起こったんだな、世の中はこういう状況なんだと子供心にもなんとなく思ったものでした。


ネットの普及でマスメディアの情報操作や隠蔽が明るみになるにつれ、マスゴミなどと揶揄されるようになった現代からすると時代錯誤と感じる人もいるかもしれませんが、自分は通勤通学で新聞や雑誌を読む行為は多くの人達への情報伝達、重要な情報の共有がなされていたのではないか、更にはその民族のアイデンティティーや集団的知性、リテラシーの形成などにかなり寄与していたのではないかと妄想が膨らみ始めています。


各新聞社の独断で大きな見出しや記事を掲載していますが、大体1面は同じ事件を扱っていましたし、世界で何が起きているのか、重要なことは何なのかを記事や活字の大きさで読者をリードしていたと思います。
もちろん新聞社や新聞記者達の都合の良いミスリードもかなりありましたし、捏造や不正などもありましたが、根本的には今起きている重要な事は何なのか?を記事の大きさや分量などで伝えていたと思います。
クロスオーナーシップの問題もありますが、テレビも地上波7チャンネルくらいとNHK BSが2チャンネルくらいだったので、日本に住んでいるほとんどの人が知りたくなくても、新聞やテレビなどで優先度の高い基本的な情報をなんとなくでも共有していたように思います。


【『あなたへのおすすめ』に生きる世界~情報の不可視化と情報提供の偏向による社会の分断化】

現代では電車やバスに乗っても、スマホを見ている人ばかりになってしまいました。
もちろんスマホで何を見ているのか、全く分かりません。
SNSをやっているのか、ゲームをやっているのか、メールをしているのか、まったく各々バラバラな事をやっていて、他人が何に興味があるのか、全く分かりません。

暇だったから、たまたま隣の人が読んでいた新聞の記事や雑誌の広告に目がいって、興味を持って何かを始めたり、調べたり、なんてことはほとんどなくなってしまったと思います。
SNSでたまたま見て、、、なんてこともあったりしますが、SNSは自分の興味や趣味、知人だったりからの選別された情報で、本当の偶然、偶発的ではない、ある意味、自分の選択(フォロー)の影響下によるものだったりします。

もちろんネットニュースやショッピングサイトも自分のパソコンやスマホで見る限り、自分の興味のありそうなもの『あなたへのおすすめ』が大きくフィーチャーされて、一旦、おすすめを見れば、次から次におすすめが出てきて、ついつい見てしまいます。

ニュースにしても何か犯罪めいたことが起これば、以前は悪や不正を暴くのはジャーナリストの役目だったのが、一旦、悪だと認知されると素人や専門家、さらにはそれに乗っかってフォロワーや
登録者数を増やそうとするインフルエンサーのような人達が裏取りもしていないような情報をSNSで拡散して、真実なのか嘘なのかよく分からない噂話のような状態でネットニュースになったりします。

犯罪や誰かを断罪するようなニュースを読むと次から次へと同じ話題や関連ニュースのおすすめが出てきて、自分の望む『おすすめ』(大抵はレイシズムによる敵対心の煽り、正義心、成功者への嫉妬心からなる追い落としや失墜など脳に快楽物質が出るようなニュース)を読んで、認知がどんどん偏っていきます。

偏向報道とよくマスコミが批判されたりしていますが、個人的にはネットニュース、ネットショッピングや同じ考えを持ったSNSの情報提供の仕方『あなたへのおすすめシステム』が社会的な分断を煽ったり、ネットリンチを誘発してしまったり、とかなり深刻な問題性があるのではないかと思っています。


【ネットニュースはなぜ記憶に残らないのか?~色情報の過多、大量リンクの判断処理による弊害】

かなり脱線してしまいましたが、ようやく最初に書いた「ネットニュースはなぜ記憶に残らないのか?」問題に戻ってまいりました。
ネットニュースと新聞を比較して見てみるとネットニュースはカラー写真や『あなたへのおすすめ』商品やニュース、事業内容とはまったく関係ない可愛い女の子のサムネイル画像の広告など大量のリンクで埋め尽くされていて、ブルーライトで光り輝き、カラフルでとても派手な装いです。

一方、新聞はというと鮮明ではないカラー写真が申し訳程度に載っているくらいで黒色テキストで埋め尽くされていて、ほぼ白黒の世界です。
たまに全面広告でカラー写真が載っていたりしますが、ブルーライトで照らされたネットの広告と較べると本当にカラーなのか?と思うほど地味です。
電子書籍リーダーでも本を読んだりしていますが、白黒だからなのかか、やはり頭に残る気がします。

記憶に残らない原因の一因として、まずは色情報の過多によるものではないかと推測しています。
もしカラー写真も広告もない状態でテキスト黒一色と5色ほどランダムに色付けしたテキストで本を読んだ場合、翌日記憶に多く残るのはどちらなのか?とても興味があります。

次にニュースサイトの大量のリンクも記憶を阻害するかなり大きな原因ではないかと思っています。
新聞にも広告はありますし、記事と記事の隙間にも広告が入っていたりします。
ただ新聞の広告は興味を持ったとしても、後で調べてみよう、後で電話してみようと自分でひと手間かかる作業が必要ですぐに決断を迫るものではないと思います。
新聞読み終えて、他のことをし始めたら、電話しようと思っていた新聞の広告のことをすっかり忘れていたなんてこともよくありました。

一方、ニュースサイトの広告はというと興味の惹きそうなサムネイルとともに、少なくとも一度は興味を持った『あなたへのおすすめ』がクリックするように判断を迫ってきます。
ニュースサイトにはそういった巧妙化されたリンクが大量に貼ってあります。

関心のないことについての判断ではなく、関心のあることについての判断はおそらく脳の処理能力に大きな負担をかけるのではないかと思います。
極端な例えですが、一度は好意を持った、あるいは現在も持っている異性や同性何名かの写真と現在の状況が分かるリンクが貼ってあったら、無関心でいられるでしょうか?
自分だったら、ニュースの内容なんてまるっきり入ってこないし、もしクリックの誘惑に耐えれたとしても、何度もクリックするのを迷って、絶対クリックしないと決断するのに必死で、
ニュースの内容なんて覚えていないと思います。

人間は絶えず判断し続けていて、1日に3万5000回ほど決断しているそうです。
しかも上限数は決まっていて、それを超えると欲に支配されて、冷静な判断が出来なくなるそうです。

たった一つのニュースを読むのに、何回決断をして、どれくらい脳の処理能力のリソースを割いているのでしょうか?


とさんざん偉そうに書いてきましたが、最初に書いた通り、自分ももっぱらネットニュースばかりで新聞は取っていません。

やはりネットでタダで手に入る情報に新聞代を払うなんてことはなかなか出来ないですよね・・・。

気をつけなければいけないのは、タダで情報が手に入るネット社会だからこそ誰かしらが何らかの利益のために、そのコストを払っていることを忘れないようにした方が良いのかもしれません。

昔からよく言われていましたよね。

「タダほど怖いものはない。」と、、、笑


※これまで書いてきたことはあくまでも個人的な妄想ですので、統計などのエビデンスがある話ではありません。