共通のお友達を誘って、友達の個展へ行ってきました。


渡邉美穂子さんとやまのべゆいこさんの2人展最終日でした。

同じ風景を写真と水彩画でびっくり

共通の友達同士も、私も久しぶりに会って色々話せて楽しかった!


実は子ども達が同じ歳で、住んでる学区は違うけれど赤ちゃんの頃からママ友同士でもある私たち。


しがらみもないので、なんでも話せるんですよね。笑


会場は久々のとなりわさんでした!

混んでいたので、ランチは時間制とのことで

その後、コーヒー飲みに場所移動。


その中での話で、今友達は

とある相談に乗っているそうなのですが

 

なるべく話を遮らず、アドバイスもせず

それはどうかな?という話も否定せず

攻撃的な感じになっても、そうなんだねと聞いて


ただただ話をすべて、気の済むまで聞いてあげたそう。とにかくそれが大切だと感じたからそうしたそう。


結果、相手は少しずつ建設的に前向きになっているとのこと。


私たちは自分の物差しを持っていて

意見が違う時は、誰かの別の物差しを持ってきたり、世間という一般論のような、多数派のケースを提示したりして


相手の間違いを指摘しようとしてしまいます。

私の正しさを認めさせたいと思ってしまいます。


そして大抵関係性が拗れてしまいます。

なんでそうなってしまうのかというと


幼い頃に、親や大人に物差しを差し出されて指摘や否定されてきたからかもしれないって話です。


話を聞いてもらえなかったからです。


話を聞くって実はとても根気がいることで

私も課題なんです。


興味がなかったり、同意できない話だと

意識が飛んで、上の空になっちゃう。


ええ、子どもの学校でこうだったよなんて話とかそうなりがち。


夫の話も半分しか聞いてないかもしれません知らんぷり

だからうまくいってる側面もきっとあるけれど


良い関係性で、リスペクトがある友人に話を聞いてもらえると、悩みは解決しなくても


よし、また頑張ってみるかなと気持ちを立て直すほどの威力はあるなと感じます。


それだけに、人の話を真剣に聞くって簡単なような難しいこと。


そこに相手への尊敬の念、敬う心がないとつい物申したくなってしまうかもしれません。


これは人の身体に触れるアロマトリートメントの施術にも通じるなぁと思いました。


身体の凝り、むくみ、引っ掻いた跡、古傷、歪み、乾燥、、


カラダの状態を観察して、手を通して対話するのが施術のように感じます。


そこに肩が凝っているからストレッチしなきゃダメですよ、というジャッジはナンセンスです。


こんなに凝り固まって、睡眠はとれているのかな?呼吸は浅くないかな?


といろんな部位を観察して、触れて

トリートメントしていきます。


つまりめちゃくちゃその人のありのままを受容する作業だと私は感じています。


知識がある人は何か問題点があると、つい改善点を提示したくなるけれど


良くなりたいか、このままでいたいのかを決めるのはその人です。


そこに、良くなりたいよね?ね?ね?!指差し

と余計なことを言うと


うまくいかなかった時に

あなたのせい!とか何かのせい!になります。

自分を生きる、という感覚もなくなってしまうのではないでしょうか。


話が聞けるようになるには、自分にゆとりがあることが大切。


私も、友達や家族、大切な人たちの話をもっとしっかり聞けるような自分になりたいなぁと思うのでした。


話を真剣に聞いてもらえるということは、とても満たされて、安心して、勇気が湧いてくるセラピーのようなもの。