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チューが倒れてから、泉谷しげるが無性に聴きたくなった。
ところが、自宅には彼のCDは一枚もない。
中学生だった頃、二枚組『ライブ!イズミヤ』を購入して以来、一度もない。

当時は、カセットテープという便利なものがあり、
ニューアルバムが発売されれば、ラジオで特集され、
それを全曲録音していたものだから、わざわざ買う必要もなかった。

金のない学生にはこの手が一番で、溢れるほどのカセットテープがあったが、
そのうちCDが発売されるようなり、自分も大人になるにつれ、
音楽を聴くことすらまれになり、自然と疎遠になっていった。

あれから、随分、時が過ぎた。
「泉谷しげるが聴きたい…。」

そして、手に入れたのが、
冒頭のShigeru Izumiya Early Days Selectionだ。
22曲が収録されているが、その選曲が絶妙なのだ。

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1.白雪姫の毒りんご 
2.ひねくれ子守歌 
3.告白のブルース 
4.義務
(1971年発売の『泉谷しげる登場』から)
5.春夏秋冬
6.黒いカバン
7.ねどこのせれなあで
8.街はぱれえど
(1972年4月発売のオリジナルファーストアルバム『春夏秋冬』から)
9.街からはなれられない
(1972年11月発売『地球はお祭り騒ぎ』から)
10.国旗はためく下に
11.君の便りは南風
12.春のからっ風
(1973年9月発売の『光と影』から)※バックはYellow
13.眠れない夜
14.Dのロック
(1974年発売の『黄金狂時代』から)※バックはYellow
15.寒い国から来た手紙
(1975年フォーライフ移籍後『ライブ!泉谷』から)
16.野良犬
17.彼と彼女
18.街角
19.家族
(1976年4月発売『家族』から)※バックはSouth to South
20.旅立て女房
21.電光石火と銀の靴
22.土曜の夜君と帰る
(1977年6月発売『光石の巨人たち』から)

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以上、エレック時代の泉谷しげるの全貌だが、これを聴くと、彼の音楽の変遷が手に取るようにわかる。スタート時は流行りのフォーク路線だが、彼の才能はそんな狭い範疇ではない。バックにYellowを従え、吠えだした『光と影』からが本領発揮である。泉谷の真髄がロックにあることがよくわかる。

画像は、Yellow このバンドに故ジョニー吉長がいた。サウンドセンスは抜群だったが、残念ながらボーカルが弱かった。泉谷の『国旗はためく下に』のシングル盤を出すも本家には遠く及ばず、バックバンドの域から出なかった。当時は、Yellowの他に、喜多郎がいたFar East Family Bandだの、森園勝敏がいた四人囃子だの日本人ロックのイメージを覆す面白いバンドが結構いた。

71年から77年の間、バックも生ギター一本からYellow、South to South、加藤和彦プロデュースなど陣営も充実している。その中でも特に思い入れが深いのが、ラストの『土曜の夜君と帰る』だ。久々にこの曲を耳にしたとき、不覚にも号泣してしまった。これほどのラブソングはおそらくそうあるまい。様々な思いがめぐり、心が暴発してしまった。


ギターは、故山口富士夫。

泉谷しげるの歌は、独特な言い回しや難解な歌詞により人によっては苦手とする向きもあろうが、彼は詩人である。詩人は『イメージ』から始まり、『言葉』に変換され、また、『イメージ』へと変換される。故に難解であり、故に容易に心に刺さる。

izumiya2泉谷しげるは、77年6月『光石の巨人たち』を発売したわずか1ヶ月後にフォーライフを脱退した。『裏切り者』の烙印を押され、音楽業界で居場所を失った泉谷は、表現者として別の場所を模索する。

1978年10月、加藤和彦をプロデューサーに招き、名盤の呼び声が高い『'80のバラッド』を発売する。輝ける80年代に希望を託した名盤だが、80年代は、70年代の裏返しのように薄く、軽く、拝金主義へと傾き、泉谷が思い描いたような時代にはならなかった。

その後、『'80のバラッド』の続編ともいうべき、『都会のランナー』を79年9月に発売して以降は、本人自らが「…以来、駄作ばかりを連発して…。」と自嘲気味に放ったように、これといった曲は残していない。エレック時代から『都会のランナー』までをシンガー泉谷しげるとしたい。
これは、彼へのラブレターである。

日本のブルース・スプリングスティーンへ。