仮埋葬地♯41 埋葬体数 504
大阪Nikon Salon(ヒルトンプラザウェスト・オフィスタワー13階)
広瀬美紀写真展
わたしはここにいる requiem 東京大空襲
2011年7月7日(木)~13日(水)
知っていて立ち寄ったわけではなかった。
2011年7月10日(日)、日曜ということもあって、
ショップのほうはいつも以上に賑わい、
サロンのほうも熱心な人々が姿を見せていた。
requiem東京大空襲
重いテーマではあるが、このフレーズは一度聞いた覚えがあるような、
ないような、はっきり思い出せないまま、写真に対峙する。
東京大空襲がテーマだが、向けられたカメラは、
空襲で犠牲になられた方々が仮に埋葬された土地である。
むろん仮地なので、本葬のためにもう一度掘り起こされた。
つまり、ご遺体は二度埋葬されたのだ。
現在、東京大空襲があった地帯は、文字通り『大都市東京』と一体化している。
実は、この写真展は2011年が初めてではない。
2008年3月5日(水)~18日(火)銀座ニコンサロン
同年8月14日(木)~27日(水)大阪ニコンサロン
にて3年前に開催されている。
3月開催は東京大空襲が起こった月で、
8月は終戦記念とお盆関係での開催だろう。
3年前はNHKや首都圏ネットワークという番組で紹介されている。
そのためフレーズに微かな覚えがあったのだろうか。
そして、今年も2011年3月8日(水)~21日(火)新宿ニコンサロン
にて開催され、続く7月に大阪で開催された。
その開催中の3月11日、あの東北・東日本大震災が起こった。
これは偶然なのだろうか。
頭には、犠牲となられた皆様のご遺体や仮埋葬、
あるいは未だに行方不明の方々のことが浮かぶ。
※以下は、ご本人に話を聞き、一部想像も交えて書いたものである。
広瀬美紀は、ある日、『東京大空襲』という特集番組を観た。
60余年前の1945年3月10日深夜12時15分
空襲令とともに米軍のB-29機が現在の江東区から台東区にかけて
ナパーム焼夷弾を2時間半かけて落とし続けた。
午前3時には、東京は焦土と化した。
死者10万人以上、被災者100万人以上。
記録を見ると、ほぼ皆殺し状態だったという。
居住地を円で囲むように、焼夷弾を投下し、
逃げ場を失った住民らを低空飛行で機銃掃射し、
さらなる焼夷弾を投下した。
米軍にとってはゲーム感覚だったのかもしれない。
衝撃を受けた広瀬は、犠牲になった方々がその後どうなったのか、
資料を探すことにした。
しかし、公式資料には、仮埋葬地の地名と犠牲者数のみが記され、
詳細に関しては全くなかった。
次に、広瀬は、10万人以上が仮に埋葬されたという土地を
住所を頼りに訪ね歩くことにした。
仮埋葬地の殆どは、公園、空き地、寺院、あるいは、都営住宅地に変わっていた。
楽しげに遊ぶ親子らはその足下に埋葬地があったことなど全く知らない。
これでよいのだろうか?忘れていいのだろうか?
広瀬は、空襲体験者を撮らねばならないと決意する。
だが、その過程は容易ではなかった。
そこで、仮埋葬のことを見聞したであろう方々の話を聞くことにした。
広瀬は、各埋葬地があった町会長さんに直筆の手紙を書き、
当時のことを知っている町の方を紹介してもらうことにした。
全ての仮埋葬地の証言を受け取ったのは、構想から5年も経っていた。
広瀬は会える方には直接会って、お話を伺い、そのまま文章に置き換えた。
写真の解説はそれぞれの生の証言である。
<ある証言>
・・・防空壕を掘らされた。
軍の命令で防空壕に入った芸妓たちは、その中で蒸し焼きになって焼け死んだ。
軍の命令に真面目に従った者だけが死んだ。
最も心に残った証言である。
広瀬は、各埋葬地があった場所に、時には三脚を立て、撮影した。
おそらく広瀬には重いであろう、ペンタックス67を抱え、
追悼の思いを込めて撮影した。
そこには、微塵の功名心などない。
あるのは、requiem、ただそれだけだった…。
現在、神社仏閣、公園や市営住宅地など、国の管理になっている土地があれば、
そこで過去、何があったか思いをはせてほしい。
『公園』という概念は明治になって、御用外国人からもたらされたものだ。
埋葬や戦火の場所は、いわゆる秘め事で、公の歴史には書かれない。
そういう土地は国が管理し、私有地にはしないのだ。
あなたの近くの公園もなにがしかの過去があるかもしれない。
広瀬さんの写真は、いわゆる『理系の写真』だ。
経歴を見ると、工学院大学工学部応用化学科卒
北里大学大学院医療系研究科医療人間科学群人間科学原論養老研究室終了
その後、高校の理科の講師を経てから
日本写真芸術専門学校Ⅱ部卒
樋口健二氏に師事
という異例の写真家である。
という異例の写真家である。
「理系の人が文系の分野に入るのは珍しいですね。」と話を向けると、
「実は、昨日(7月9日)、『君の写真は理系だね。』と言われたんです。」と語ってくれた。
彼女の写真は、隅々まで美しく正確に撮れている。
フィルムカメラならではの味わいである。
余談だが、広瀬さんの隣のコーナーでも別の方が写真を展示していたが、
いわゆるデジタル写真で、なんの思いも感じない。
正直ひどかった。
似てないかも・・・。
小柄な広瀬さん愛用のカメラがPENTAX67―中判一眼レフである。
1969年に発売されて以来、ほぼ30年近くモデルチェンジらしいチェンジもなく
数々のプロ・アマ問わずに愛された名器だ。
広瀬さんはブローニーフィルムを使用している。
35mm一眼レフをそのまま中判サイズに置き換えたもの。
当時は画期的で、その後モデルチェンジがなかったのは
既に、67が完全体であることの証明に他ならない。
耐久性にも優れ、交換レンズも豊富な上に
高速シャッターが容易な為、報道、スポーツにも向いている。
いわばオールマイティの優れモノだが、欠点は重いこと。
約2キロあるので、女性には不向きだが、
撮影時にしっかり握れるグリップもオプションで付けることができる。
上の写真はグリップ付き。
なかなかの職人的風格。
現在は、1999年にPENTAX67-2が発売されている。
広瀬さんの今後のご活躍を期待しております。
大阪のファンより
※文中敬称略いたしました。ご了承ください。




