その3学期の学期末

この時には面接はなく、最後の日に通知表を渡されるだけだった

小学校の通知表は3段階評価

今まで、そのうちのほとんどが1番いいところ、そして残りの数個が2番目のところ・・・・3番目はついたことがなかった

しかし、この3学期に、とうとう、3番目に1個成績がついてしまった

もちろん、それを持って帰った私は家でばつが悪かった

母親から「通知表見せなさい」「3番目に〇がついているじゃない」

そこに正座しなさい それから説教がクドクドクドクド

最後に、「お父さんが帰ってきたら怒ってもらうから」

もちろん、父親が帰ってきてからも怒られた・・・・

通知表は、私にとって、苦痛の種になった・・・・

小学校1年生の時、私は下校しているとき、踏切にいる3人の友だちと会った

その友だちは、踏切で遊んでいた

しかも、その踏切は、駅から50mと離れていない距離

その中の一人が「線路に耳をつけると、電車の音が聞こえるんだよ」と私に声をかけた

私も、例外なく耳をつけて、音を聞いた・・・・なんの音もしない

そして、私たち4人はその踏切を後にした

しかし、その中の一人がやらかしていた

ほんの小さな小石を2つ、線路の上に置いて帰ってきてしまっていた・・・・もちろん、私は置き石はその後、学校で話を聞くまで知らなかった

 

おそらく、その駅の駅員からだと思うが、4人の小学生が踏切で遊んでいると、小学校に通報があった

すぐに、やんちゃ坊主で有名だったそのうちの一人が目星をつけられ、そこから、私を含めた合計4人が洗い出されるまでに時間はかからなかった

私は何よりも親に連絡がいくのが怖かったため、先生に

「一緒にいたけど、『そんなことしちゃ危ないよ』と言って、すぐ帰った」といった

いい子で通っていた私は、先生からその言葉を信用された

他の3人は、親を学校に呼びつけられ、こっぴどく怒られていた

特に、置き石をした友だちは、かなりひどく怒られたようだった

 

その後、たしか、期末の面接の時だったと思うが、先生から親にこの話がなされ、本当にいい子がだんだん偶像化していった

この3人の友だちは、いろいろないたずらをしていたため、この事件もほんの小さなもののひとつだったから、私のことは何も言わなかった

 

私は、親に発覚して、親から怒られることが本当に恐ろしかった

そして、こんな卑劣なことをしてしまった・・・・

40年以上たっているが、3人の友だちに本当に謝りたい・・・・あのとき、潔く名乗り出られず、本当にごめんなさい。私も、あのとき、一緒に線路に耳をつけて遊んでいた一人です

それは、小学校に入学して間もない5月

家庭訪問があった

そこで家に来た先生は私を褒めちぎった

「今までこんないい子をみたことがない」

「任せたことは確実にやってくれる。だから、なんの仕事でも任せられる」

それを聞いていた母親は花高々だった

 

そこから、母親はそのいい子=私が当たり前 という固定観念

学校生活・・・・小学校6年間、中学校3年間、高校3年間、大学4年間・・・・合計16年間も〇〇先生はあのとき「こんないい子は見たことがないって言っていたんだよ、どうしてそんな悪い子になっちゃったの」って言われ続けることになる

 

今思い返せば、その褒めちぎったことも、

痛いことは痛くても怖くて平静を装わなければならなかった、寝なさいと言われればばれないように寝たふりをしていた、親の言うことをよく聞くいい子ぶっている子だから、そのままを学校に置き換えただけだとおもう

もちろん、自我はないまだまだ幼い自分にとって、親の価値観がすべてだった

だから、先生からしてみても、なんでも「はい」って言うことを聞くいい子だったのだろう