みなさんこんにちは⭐︎
今日は、阪神淡路大震災から26年目を迎えました。
あの頃、我が家のパセリさんは2歳か3歳。
確か、地震があったのは月曜日の早朝。
少しグラっと揺れて、目が覚めたのですが、ちょくちょく地震があったので、
「あ、地震か?」
と、思いつつ、再び寝ようとした時に、あの大きな揺れが起こりました。
当時、古い木造の借家に住んでいたのですが、家の柱が、縦に波を打ちつつ、横揺れ。
とっさに外に出ようとしたのですが、複数の瓦が落ちる音がしたので、出ることはやめて、立ったまま揺れが収まるのを待ちました。
揺れが収まり、玄関に行くと、2つの鳥かごが落下。
一つには2羽の文鳥ともう一つには、パセリさんと白オカメがいましたが、パセリさんだけが、かごの外に放り出されて、放心状態に。
慌てて手で救助したら思いっきり噛まれたという...
幸い、家族も鳥さんたちも無事でした。
薄暗い中外に出ると土煙が立ち、ガスの匂いも。
近所の家は、瓦が落ち、壁にひびが入っていましたが、怪我人はいませんでした。
ですが、一つ道路を隔てた場所では、アパートが斜めになりつつも、なんとか倒壊を免れている横で、2階建ての家の1階部分が倒壊。
住人が亡くなったということでした。
また、私の住んでいた近隣は、幸いにも水道・電気・ガス共に地震の影響はありませんでした。
身内にも不幸はありませんでしたが、父が神戸の東灘区に務めていた為、何かと大変だったようです。
あの地震の時、高速道路が倒れ、駅舎の1階部分が倒壊、火災に見舞われる街の映像が忘れられません。
地震が起きて数日の出来事は覚えていますが、その後、どのようにして過ごしてきたのか、全く思い出せず。
人間は、とても辛いことがあると、今後生きて行くために自己防衛として、その出来事を自然に記憶から消去する、と聞いたことがあるのですが、それが本当なのであれば、やはり、大変な状況だったのだろうと、思うことがあります。
そんな大変な状況を乗り越え、今現在もお元気にお過ごしのパセリさん。
パセリさんが我が家へ来てから、少なくとも5羽の鳥さん達を見送って来ました。
パセリさんが大好きだった白オカメのロジャーさんがいなくなった時、とても悲しく、寂しかったことでしょう。
その後も、3羽の文鳥さん、そしてヨウムのスパークともお別れをして来たパセリさん。
私も辛かったけれど、パセリさんが居たから、その辛さを乗り越えることができたと。
日々の嫌なことや辛いことも、パセリさんが居たから私は乗り越えられたと思っています。
今は、クラッシュと姫ちゃんが家族になり、以前より賑やかになりましたが、パセリさんどう思っているのかな?と、思うことがあります。
パセリさんが喋れたら、どういうのかな?
「君たちもう少し静かにしてくれないかな?」
とか、
「今日も元気かい?私はそれが嬉しいよ」
とか...
きっと、私や家族みんなの幸せを願っているんだろうな、と思っています。
もう来年は30歳になるパセリさん。
元気でいてほしいな。
(本日のパセリさん⭐︎今日もカワユイです♡)
ではみなさん、ごきげんよう⭐︎
“パセリさんより
長生きするで!!”
“ぽちっ”てくれてありがとう♡
「元気に長生き
してちょうだい!!」
《お知らせ》
不定期で
悪ガキちゃん以外のことも
書いている
“ヨウムに蹴られるア・タ・マ☆☆”
も
宜しければお楽しみ下さいませ☆
こちらからどうぞ♪
⬇︎ ⬇︎ ⬇︎