ブログを始めてから
この日になると
いつもその内容を書いています。
"阪神淡路大震災"
年数も経ち、今までのように
震災があった日だからといって
大きく取り上げられる事も
あまり無くなってきました。
あの日の前日の夕方、
近くの河川の光景。
白い羽の渡り鳥が
川の中で騒いでいて
朱色の赤っぽい夕焼けが
印象に残っています。
あの時も思いましたが
空の色がおかしかったし、
鳥達の様子もおかしかったです。
我が家でも
父が話しかけると
いつも鳴いているパセリさんが
鳴かず、珍しいなって
言ったのを覚えています。
そしてあの日、
大きく横に"グラッ"と来て
ほんの少し経った時
下からの突き上げるような
"ドォン!!"という衝撃と共に
激しい横揺れがありました。
長く感じましたが
数十秒しか揺れてなかったようです。
私の住んでいる地域は
昔から体に感じる揺れが
多い所でした。
なので、その日も
"あれ?地震か・・・"と
思って二度寝しようと
思った位でした。
今思い返しても
どんな風に過ごしていたか
余り記憶にありません。
ただ、屋根瓦が至所に落ちて
ガスの匂い、道路の辺りは
砂埃でも舞ったかのように
白く霞んでいました。
一本道を挟んだ所に
アパートと大きな一軒家が
ありましたが、
アパートは
倒壊していなかったのに
一軒家は一階部分が潰れ
その中の方が、
亡くなっていました。
生死を分けたのは
地層だったようです。
詳しくは覚えていませんが
ある地層を隔てて
建物の倒壊が大きかった所と
そうでなかった所が明確に
わかれていたそうです。
今日は
エリアメールで模擬警報が
ありました。
"大きな津波が来る"という
内容だったので
地震速報のエリアメールの
警報音のような
激しいものではありませんでした。
去年、一度だけ、
地震のエリアメールが
ありましたが
正直、数十秒でどうしろと
いうのか?と思いました。
大きな地震が来るという事を
事前に知る事は
大切な事だとは思うのですが
実際はうろたえるだけで
あまりこれといった行動を
とれませんでした。
各地、各国の地震の
映像を見て思った事が
あります。
恐ろしい事ですが
結局、生死を分けるのは
屋内にいるのであれば
その建物が
"倒壊しない建物なのかどうなのか"
という事が、まず第一の
条件ではないかと
思うのです。
それぞれ
みなさんの考えもありますので
これは
私が感じた事として
書いております。
食料の備蓄なども大切ですが
地震の一発目の揺れで
建物が倒壊して
下敷きになったら
自力で脱出する事は
かなり困難でしょうし、
もし、
同時に近くで火災が起こったら・・・
実際、
地震が治まった後、
外に出ようとしましたが
扉が歪んでなかなか開かず、
このままでは
次の余震で家が倒壊して
生き埋めになるのではないかという
恐怖から、少しパニックになった事を
覚えています。
地震対策として
やはり、倒壊しない建物が
重要ではないのかなと
思いました。
ただ、
内陸部の土地で通用する話であって
海岸に近い土地では
津波という大きな問題も
あると思うので
何とも言えませんが。
自然災害はやはり
完全に防ぐという事は
難しいのでしょうね。
まずは、自分の住んでいる地域の
"ハザードマップ"の確認や
建物がどのくらいの
強度があるのかなど
日頃からリサーチしておかなければ
ならないのかも知れませんね。
1995年1月17日、
あの日から
生かされている事の意味を
再確認し、
亡くなった方達の分まで
一生懸命に恥じることのないよう
生きていかなければ
ならないと再確認させられる
日となりました。
この日になると
いつもその内容を書いています。
"阪神淡路大震災"
年数も経ち、今までのように
震災があった日だからといって
大きく取り上げられる事も
あまり無くなってきました。
あの日の前日の夕方、
近くの河川の光景。
白い羽の渡り鳥が
川の中で騒いでいて
朱色の赤っぽい夕焼けが
印象に残っています。
あの時も思いましたが
空の色がおかしかったし、
鳥達の様子もおかしかったです。
我が家でも
父が話しかけると
いつも鳴いているパセリさんが
鳴かず、珍しいなって
言ったのを覚えています。
そしてあの日、
大きく横に"グラッ"と来て
ほんの少し経った時
下からの突き上げるような
"ドォン!!"という衝撃と共に
激しい横揺れがありました。
長く感じましたが
数十秒しか揺れてなかったようです。
私の住んでいる地域は
昔から体に感じる揺れが
多い所でした。
なので、その日も
"あれ?地震か・・・"と
思って二度寝しようと
思った位でした。
今思い返しても
どんな風に過ごしていたか
余り記憶にありません。
ただ、屋根瓦が至所に落ちて
ガスの匂い、道路の辺りは
砂埃でも舞ったかのように
白く霞んでいました。
一本道を挟んだ所に
アパートと大きな一軒家が
ありましたが、
アパートは
倒壊していなかったのに
一軒家は一階部分が潰れ
その中の方が、
亡くなっていました。
生死を分けたのは
地層だったようです。
詳しくは覚えていませんが
ある地層を隔てて
建物の倒壊が大きかった所と
そうでなかった所が明確に
わかれていたそうです。
今日は
エリアメールで模擬警報が
ありました。
"大きな津波が来る"という
内容だったので
地震速報のエリアメールの
警報音のような
激しいものではありませんでした。
去年、一度だけ、
地震のエリアメールが
ありましたが
正直、数十秒でどうしろと
いうのか?と思いました。
大きな地震が来るという事を
事前に知る事は
大切な事だとは思うのですが
実際はうろたえるだけで
あまりこれといった行動を
とれませんでした。
各地、各国の地震の
映像を見て思った事が
あります。
恐ろしい事ですが
結局、生死を分けるのは
屋内にいるのであれば
その建物が
"倒壊しない建物なのかどうなのか"
という事が、まず第一の
条件ではないかと
思うのです。
それぞれ
みなさんの考えもありますので
これは
私が感じた事として
書いております。
食料の備蓄なども大切ですが
地震の一発目の揺れで
建物が倒壊して
下敷きになったら
自力で脱出する事は
かなり困難でしょうし、
もし、
同時に近くで火災が起こったら・・・
実際、
地震が治まった後、
外に出ようとしましたが
扉が歪んでなかなか開かず、
このままでは
次の余震で家が倒壊して
生き埋めになるのではないかという
恐怖から、少しパニックになった事を
覚えています。
地震対策として
やはり、倒壊しない建物が
重要ではないのかなと
思いました。
ただ、
内陸部の土地で通用する話であって
海岸に近い土地では
津波という大きな問題も
あると思うので
何とも言えませんが。
自然災害はやはり
完全に防ぐという事は
難しいのでしょうね。
まずは、自分の住んでいる地域の
"ハザードマップ"の確認や
建物がどのくらいの
強度があるのかなど
日頃からリサーチしておかなければ
ならないのかも知れませんね。
1995年1月17日、
あの日から
生かされている事の意味を
再確認し、
亡くなった方達の分まで
一生懸命に恥じることのないよう
生きていかなければ
ならないと再確認させられる
日となりました。