武田勝頼土佐落人伝説と野中兼山失脚のナゾ | がんばる地上の星たち!高知と松山のまんなか・仁淀川町

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土佐の山間・仁淀川町(によどがわちょう)の(元)地域支援企画員の日記!

今日は久しぶり仁淀川町。
武田勝頼土佐落人伝説が色濃く残る仁淀川町にて
歴史ミステリー講演会に参加した。







県外からも多数参加があり、群馬県から真田忍者末裔の方もあり、今に伝わる忍者技を披露してくれました。

講演会テーマはあの土佐藩宰相の野中兼山を葬った裏側には武田家との繋がりがあったと言う驚天動地の内容だった。会長の推理はかなりなところを攻めていた。野中兼山と武田家、それを良しとしない幕府、土佐藩。あまりにも野中兼山のあの偉業とその後の失脚と一族に与えた罰は不自然だし、おお。。。この話、何か腑に落ちたわ。野中兼山の側室と子供たちは武田の血が。。。






それと、そもそも、武田勝頼公が土佐に落ち延びたのも思いつきでも全くない。お家再興を目論む武田家、土佐に以前からゆかりある明智光秀一族、支援する真田忍者一族のネットワークや計算があってのことだ。ううむ。

最後に地域活性化ディスカッションで未来を語った。
土佐にはいろんな地区、集落に「我が家は武田一族なり、他言無用なり」が今だにあり、漏らすと滅亡を意味するとして固く口をつぐんで来たと言う。今の時代、開示していきましょうと(^^)




今日は眠れそうにない(^^)
何か、元気をもらった。最後にエイエイオー(^^)
頭は戦国末期から江戸初期にタイムスリップした。



私の仁淀川町の武田勝頼土佐の会との地域活性化のからみは下記の当時のブログにあります。10年くらい前のアーカイブなど多数。