「ファミコンに育てられた男」を読む | がんばる地上の星たち!高知と松山のまんなか・仁淀川町

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土佐の山間・仁淀川町(によどがわちょう)の(元)地域支援企画員の日記!

私の場合、高1の頃にファミコンが登場し、ゼビウス 、スーパーマリオが超絶に流行り、ドラクエ、ファイナルファンタジーなどRPGがゼーム界を席巻した。確かに、当時の小学生や中学生よりも冷静にブームにハマり、楽しんだもんである。かなりファミコンはやり込んだ。指先の皮にマメができていた記憶あり。ドラクエIIの発売には行列に並んだもんだす(^^)

二十歳くらいにはまずまずゲームから徐々に手を引き、これは!というゲーム以外はやらないこだわりでゲームに関わってきた。スーパーファミコン、プレイステーションとなるとほんの一部のソフト(ドラクエやリッジレーサー、みんゴル、鉄拳など)しかやっていない。何かしらゲームから知恵や工夫、勇気、達成感など学び体験できた気がする。プレステ本機を買うためにも行列に並んだもんだす(^^)


しかし、そうしたゲームが生活の一部、楽しみでできたのも、まあ家庭的に安定して学業へも悪影響しなかったからだろう。安心して余暇をゲームしてその醍醐味に、ストーリーに、隠れた謎や多彩なキャラたちにココロを入れられたからだろう。

今回、読んだ著者、フジタ氏の
怒涛の人生ストーリーである。尋常ではない。

「ファミコンに育てられた男」



本書はフジタ氏の実話である。

ファミコンが世に出た当時、そう、80年台半ば、ゲームが好きな男の子、フジタ少年は他の子どもと何も変わらないはずだったのに、家庭の突然の異変に影響され、真っ逆さまな人生を強制的に味合わされることになる。

わずか小学一年入学直前に母親が亡くなり
父親は直後、他の女性のもとに走ってしまい、自宅に寄り付かなくなる。突然死であった。わずか、6,7歳の子どもである。父親から金だけは定期的に与えられるものの、生活全般、自分で全てやらなくてはならない。寂しさを紛らわすためにファミコンに浸かる毎日。まともな食事、生活ができるはずはない。読んでいてホント、切なくなってくるし、本人の父親などへの反発など無理ないことと思う。

そんな中、彼はファミコンのプレイを通じて人としての学びを得たり、達成感を感じたり、創意工夫、時には友達とのゲーム遊びの際に人間関係での不和や和解など試練に遭いながら人間として成長していくのである。読んでるこちらも応援したくなる。

ファミコンは単なるゲームではない、彼にとっては親みたいな存在だと本人は感じているほど、親の愛は無かったのだ。普通、ゲームソフトをもうしなくなったらショップで売却したりするもんだが、彼は売る行為はしないという。いま、40歳代になり、彼の自宅は何万本のゲームソフトで溢れている。

フジタ氏はなんと、いま、ファミコン芸人として世に出始めているのだ。もちろん、腕前は超プロ。唖然とするうまさで難解なゲームを軽くクリアする。私も1年くらい前にたまたまYOU Tubeで出ているのを観て、以来、応援気分である。フジタ氏の自宅はゴミ屋敷ならぬ、ゲーム屋敷したマンションはかなり異常だが、すべてのゲームソフトをかき集める超コレクターになるにはワケがあったのだ。フジタ氏は今後、ゲームミュージアムを作るみたいな構想があるようで楽しみである。こんな、ある意味、突き抜けた人がいてもいい。応援しとります(^^)




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