防災教育研修会へ行く | がんばる地上の星たち!高知と松山のまんなか・仁淀川町

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土佐の山間・仁淀川町(によどがわちょう)の(元)地域支援企画員の日記!

今日は高知市内で公立の小中学校の先生方が集まり、防災教育研修会があった。主催は高知県教育委員会。各学校では地震等への備えのため、安全対策計画を定めるようになっており、さらなるブラッシュアップが求められているようである。私も小学生の子の親なんで、そこは先生方も頑張ってほしいとこだ。

今回はあの釜石市の元・釜石小学校長の加藤先生が来高し、90分以上の講演をしてくださいました。私も聴講した。








釜石の奇跡は、よく聞くのは中学生たちがとなりの小学生や周囲のお年寄りたちと高台へ逃げたが危険を察知してさらなる高台へ逃げ、津波から被害を免れた奇跡の事例だというが、これは別の小学校のことで、同じ釜石市内の釜石市小では発災の3.11の14:46は子どもたちは皆、下校していたらしく、学校には先生らが体育館のワックスがけなどの作業をしていたらしい。つまり、帰宅した子どもたちは自宅や友だちの家、公園で遊んだり、帰宅途中の子もいたし、なんと、堤防で釣りを楽しんでいた子ども達もいたという。

あの大地震の揺れから30分後、釜石市は大津に襲われ、多大な浸水被害を被るわけだが、帰宅した子ども達の安否など学校が知りようもない。次の日になり、やっと子どもたちの安否を知るために先生たちは避難所を回り始めて判明してくる。

釜石市小は高台にあるため、学校自体は安全であったが、数少ない避難所としてなんと700人もの避難者であふれ、先生たちはその対応に追われ、被災直後は子ども達の安否どころではなかったらしい。

結果から言うと、全校生徒の180人あまりは皆、無事で避難所やビルの屋上、知人宅など様々な場所で生き延びていたという。親を亡くした子もいたし、8割の子の自宅は流されたというのにである。小学低学年の子ども達までも無事であった。

発災直後は下のように皆、バラバラに帰宅していたのである。まさか、地震がくるとは思いもしないから。マルがその子どもたちの居場所位置だ。


なぜ、助かったのかが、今回の本質部分である。

普通に放課後、近所で遊んだりしていたらしいが、発災と同時に頭を守り、日頃から学んだ地震津波に関する防災教育がまさに生きたのだ。自分の頭で考えて対応出来た子が多かったのだ。後から子どもたちから学んでことが生きたことを知らされた親や先生らは改めて驚愕し、安心し、涙したという。防災教育の成果である。

当事者、しかも校長先生の話に私は涙なしには聴くことはできなかった。ハンカチは濡れた、鼻水は出まくり、前が見えなくなるほど。。。正しい津波や地震の知識と訓練、熱心な先生らの指導が子どもたちを助けたし、人の話を聞ける子どもたちは自らを救ったのだ。

教育の力は素晴らしい。
大変、勉強になりました。感動しました。ありがとうございました。






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