土佐藩の宰相と言われた
野中兼山
について、地元の香南市では小学生が社会科で学ぶ郷土の歴史としては当たり前なことだが、香南市には夜須地区の手結港の開設は偉業であり、土佐藩が大借金をして喘いでいた藩政時代初期に野中兼山は、土佐の木材や数多の産品を大阪に船で運ぶためには、中継となる港が必要だった。しかし、適地の夜須は流砂は溜まるし、岩盤も強固、非常に難工事であったのが、夜須地区の手結港であった。
しかも、人夫や地元民の間では疫病が流行り、工事も捗らない。民衆はせめて供養のための盆踊りを許してほしいと懇願した。野中兼山は通常は娯楽は退廃を産むので認めておらなかったが、夜須地区の盆踊りは認めざるを得なかったため、「手結の盆踊り」は今も当地では受け継がれている。
手結港は完成し、地区の誇り、先人の苦労を今に伝えている。
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