今日は夏季に申し込んだ高新文化教室特別講演の
「真覚寺日記へのいざない」
を聴講してきました。
講演者は岩崎義郎さん。
土佐観光ガイドボランティア協会顧問をされている方で、最近、このテーマで郷土本も刊行した歴史家、作家である。
私は仁淀川町地域支援企画員時代に仁淀川町で観光ガイド育成活動の中で仁淀川町にお越しいただき、岩崎氏に講義していただいたことがありましたが、まったく変わらぬ感じでお元気そうでたまげた。
明日が誕生日だそうで、なんと90歳になるという。すごい!
90歳にして資料を整理し、90分の講演を軽々やってしまう岩崎氏、すごいし、話にユーモアを必ず入れてる。
とくに今回の幕末に土佐市宇佐の真覚寺和尚の安政時代から幕末の激動期にまめな日記の説明をしていただいたが、とても興味深い話に時間はあっという間であった。
日記のきっかけは、あの東海地震の翌日に起こった南海トラフ地震(安政の大地震)を目の前に見てありのままに書かれていたが、それが始まりであり、以後、和尚の日次が1000ページを越える大ボリュームで展開されている。まあ、今回はかいつまんで説明をしていただいた。余震があんなに長期にあるとは意外である( ˘ω˘ )
地震以外の話題、和尚さんの日記は
・カツオ漁と運搬
・猿田洞発見
・宇佐↔︎高知の往来話
・美女に見とれた話
・坊さんカンザシ事件
・吉田東洋暗殺事件
・山内豊範公離婚顛末
・はやり神
・容堂公と坂本龍馬
詳しくは郷土本に出てるから書きませんが、日記から土佐のリアルが感じられました。まさか、あんなことになっていたとは( ˘ω˘ )うーむ。
しかし、幕末の孝明天皇の時にあんなに元号が変わったのは、天変地異がよく起こり、政変、特に安政の大獄や長州征伐やなんやかやで安定を祈念して嘉永、安政、万延、文久、元治、慶応と変えたのかと、説明になるほどなと、納得した。大変な時代であったのだ。
SEE YOU!