野中兼山のことをすこし。
野中兼山は相当な勉強家であったようだ。
その野中家所領の本山町はその学びの場、切磋琢磨の場であったようである。
学友たちが集い、議論した場所に「上の坊(うえのぼう)」という場所が、本山町役場近傍にあるのだ。
これ、野中兼山像(本山町帰全山公園内)!
野中兼山や山崎闇斎らの知的な藩士らが集い学問、南学に励んだのである。
実際、野中兼山は学問書を輸入してまで藩内に取り寄せ、学んでいる。
この「うえのぼう」はまさに
知の拠点
である。
そんなに広い場所ではない。
ちょっと坂になっていて、ここに建物があったのだろうか。
国外(他藩)からも買ってでも書物を取り寄せて勉学した。
一体どんな学びをしていたのだろうか?気になる。
地域の課題に取り組む議論をしていたかもしれない。
野中兼山の偉業、意義、考え方、家臣、教育や学び、土木技術、時代背景を学びたい。
ケーススタディで大学等で授業にしたら、地元学、先人の苦労にも触れ、地域を誇りにする気持ちももっと生まれるのではないか。
さしあたり、香南市なんかは、この施設をどう守るか議論すべき時だ。
SEE YOU!