本山町で開催された街歩きに参加した昨日のブログの続きです。
昨日のブログは下記リンクから入ってください(=゚ω゚)ノ
われわれはさらに進み、野中兼山時代の本山での学問道場と言える
「上の坊」
を訪れたのである。「うえのぼう」と読むらしい。ガイドさんが教えてくれました。
野中兼山や山崎闇斎らの知的な藩士らが集い学問、南学に励んだのである。実際、野中兼山は学問書を輸入してまで藩内に取り寄せ、学んでいる。
この「うえのぼう」はまさに
地の拠点
であるな(-.-)y-., o O
具体的にどんなだったのだろうか。
学問の神様として今は受験生が絶えないらしい。ご利益ありなのだ。
近くには野中兼山の邸後がある。上街公園と今はなっているが、日当たり良好な平地がある。ここはかつて戦国時代は本山氏の領地であり、歴史ある土居である。
さあ、時間も2時間近く歩いて来て、また元の帰全山公園、野中兼山銅像まで帰る。
とその橋を渡っているとガイドさんから、野中兼山の「阿呆掘り」があるという。
それは、いまでこそ早明浦ダムがあり排水調整してくれるが、昔はすごい暴れ川であり、カーブする吉野川は豪雨時にはいつも溢れていたという。写真のように河川をショートカットし流そうと岩盤を掘削したが硬すぎて無理であったらしい。阿呆掘りというより手掘りゆえに無理だったのだ。必要なこうじであったが、必要な工事であったな。
本山、野中兼山が理解できた1日でありました。ガイドしてくださって本当にありがとうございました!ガイド役の方は教育委員会の方と観光協会の方でした。また今後、香南市や関係の町や野中兼山顕彰をしているみなさんらと連携していけそうですね。
野中兼山パワーは繋がる、つながる(=゚ω゚)ノ
さらにもうちょいコンテニュー!
SEE YOU!