さて、野中兼山県内ツアー、第何回目かは忘れましたが、とにかく今回は
本山町街歩き
である。
テーマはもちろん
野中兼山
であった。
主催は本山町教育委員会。
本山町といえば、野中家の所領であり中心の町である。土佐の政治の前に自らの所領でいろんな政治を実践している。例えば、「本山掟」をつくり、民を示し徹底し生産性を向上する動きをしている。儒教だ。たぶん、土佐藩の傾いた財政の健全化の第一歩としてまずは我が領地から率先して実行したのである。
さて、ガイド役は教育委員会の方で、サポートは観光協会の方で、聞けばブラザーズである( ˘ω˘ ) 私はそこに感動した。ちゃんと地元本山町の歴史や文化に向き合う、誰にやらされるでもなく自発的にガイドをやっている。香南市にこんな若い方がいるか。素晴らしい。
昨日までの寒波が残った朝、9時半に集まった本山町の方々、親子連れなど含む15人くらいか。スタートは野中兼山廟や兼山銅像がある帰全山公園。
野中兼山の初歩的な歴史や土佐での産業振興、農地開発、教育などお話して頂いた。
先日もNHK高知で作家山本一力さんが出演した野中兼山番組があったばかりだから、参加者の皆さんも見たかもしれない。地元学がこうして始まった(^ν^)
帰全山公園を出て、吉野川にかかる橋を渡ると朝の光に反射して鏡のような景色に目がくらむ。
野中兼山の聖地とも言える
帰全山公園。
ここには野中兼山の母が眠り、歴史ある兼山会が兼山廟として設置し、昭和40年ごろ建てられた立派に野中兼山の銅像まである。野中兼山銅像は、図面片手に現場を指揮しているような姿態である。
さて、一行は国道から外れ、本山町の中心部から山手に行ったところに水路がある場所に来た。
やはり、この地でも兼山は用水路の配備に力を入れて農業を革新的に進めている。川をせき止め、延々とこのような用水路を引き、荒地を耕地に変えてきたのである。
もちろん、今も使われている。
野中兼山が造った用水路、当地では「ゆ」という。水路のことだ。「うわゆ」とか言う。田の標高に合わせた水利システム。
いまはコンクリートであるが、地域の農業の大事な基盤であることには変わらない。
途中、十二所神社にも立ち寄った。ここは戦国時代は他にあったが、野中兼山時代にここに再建された本地域の守り神だ。かつては神楽もあったらしいが、一度途絶え、近年、また役場のひとや有志で復活してきているという。秋の神祭は見てみたいものだ。境内の巨木は凄い。
奥の本殿、見たところ、かなり緻密で組んだ木は複雑。そこで、これは長州大工さんの作ではないかと思った。仁淀川町にある神社とすごくよく似ている彫刻美がある。
仁淀川町大野地区にある河嶋山神社は何度も私のブログに登場するが、江戸期の長州大工さん作だ。
ミツバ柏なのは、山内家だからですね。
ガイドさんがいうにはかなり本殿も痛みが激しく、見ると確かにそうである。なんと、宮大工に数ヶ月もかかり見積をとったらしいが、再建費用は3億円だそうだ。凄い具体的!緻密な彫刻、優雅な造り、現代価値でそうであるが、昔はもっと金銭に変えられない価値がある気がする。私は10億かと思った(-.-)y-., o O
なんどかガイドさんから歴史三択クイズが出され、当たるとアメがもらえる。子供たちにもわかりやすい感じである。実にいい。
意外とむずかしかったがテンション上がるわ( ˘ω˘ )
さらに明日につづく(^ν^)
SEE YOU!