秋の安居渓谷を歩く(5)銅山跡ってことだ | がんばる地上の星たち!高知と松山のまんなか・仁淀川町

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土佐の山間・仁淀川町(によどがわちょう)の(元)地域支援企画員の日記!

さて、今日も仁淀川町の
安居渓谷を歩くシリーズ。

仁淀川町の最奥なので、そりゃ、地形は厳しいし
ほぼ垂直に切り立つ岩山に木々が密集している。

紅葉の時季はなおさら引き立つ!

前回の「荒男谷」という場所の意味はよくわからないなと
考えつつ、奥を目指す。







この秋の台風のときだったか、豪雨によって
谷川の巨大な岩が場所が変わっている。

乙女河原まではわりとすぐだ。


この青と多様な赤色・黄色の共演がいいね~☆




看板が見えてきた。
もちろん、何の看板かは知ってる。





知ってる人は知っている。

この奥、数キロにはかつての産業遺産
安居銅山跡があるのである。




土佐の藩政時代に始まったこの事業は
この明治、大正のころまで行われていたという。




現地に以前に行った時にはこの地図にあるような
遺跡めいたところが分からなかったが
かつては大災害もあったというし、なかなか歴史も
ありそうである。神社まであったらしい。
こうした銅山跡は仁淀川町内に他にもある。

さて、さらに奥に行こうか。

続きます~☆

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