金子直吉ストーリー1 | がんばる地上の星たち!高知と松山のまんなか・仁淀川町

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土佐の山間・仁淀川町(によどがわちょう)の(元)地域支援企画員の日記!

私のブログでは、まあお馴染みでもある
土佐が生んだ財界のナポレオンこと
鈴木商店の大番頭
金子直吉
さんであるが、仁淀川町(旧・名野川村)の生まれ
なのである。


 


仁淀川町で生まれたってのは
実はいきさつがある。

もともとは金子家は伊予(愛媛県)の武将であり
金子備後守元宅という。
あの四国を平定した長宗我部元親の家臣として活躍した
のだが、豊臣秀吉の四国征伐時に伊予の金子城の
落城とともに絶えるのである。

しかし、土佐の長宗我部元親の庇護のもと、土佐に
逃れた元宅の子息たちは、うちひとりは馬場氏の養子になり
以後、武士を辞めた後は商人として栄える。

しかしながら、直吉氏の数代前に放蕩がたたり、家は没落し
日々の暮らしにさえ困るようになったという。
(途中で旧来の金子姓に戻している)

江戸時代子後期には、土佐の参政・吉田東洋の出入り商人
であった金子氏(父・甚七)はその免許を得て、現在の仁淀川町
へ免許店として呉服業を営むことになったのである。

その地は現在のお宿、山村自然楽校「しもなの郷」がある
下名野川地区周辺であったと言われている。
吾川村史にもそのあたりが書かれているものの、その本当の
出生地は下名野川地区か竹屋敷地区かで定かではない。

とにかく

金子直吉氏は1866年6月13日
吾川郡名野川村に父・甚七、母・タミの間に生まれている。
(ちなみに弟・楠馬は1年後に生まれている。)

あの、坂本竜馬が暗殺される約1年前のことである。


しかし、この幼少時期は長く、この地では続かない。

幕末の風雲期、そして明治維新は、決してこの山間の営みでさえ
安定はさせなかった。
金子直吉氏はここで6歳まで親と生活していたのだが、明治維新に
なり、貨幣経済の変転によって、まったくもとの困窮、窮乏した生活に
もどり、高知へと帰らざるをえなくなったのだ。


直吉さんの生誕地、しもなの郷「金子直吉さんのページ」




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