平家伝説5勇士 | がんばる地上の星たち!高知と松山のまんなか・仁淀川町

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土佐の山間・仁淀川町(によどがわちょう)の(元)地域支援企画員の日記!

仁淀川町と言えば
平家伝説
である。

ご存知の通り、正史には、文治元年(1185年)3月24日
平氏は壇ノ浦の戦いで全滅するに至ったのである。

しかし!

安徳天皇と平家一族は、諸国各地に逃れたという
伝説が残っている。

まあ、言えばその一つが土佐に残された
平家伝説であり、その潜行は
椿山地区や上名野川地区、その他エリアに残されている。

中でも旧・仁淀村は都地区はじめ
いろんな記録というか
村史にまで書き残されている。

その中から紹介していこう。

平家一族は安徳帝を守護し、仁淀川町の某所を
安住の地と定め、そこを「都」と定め、
今では都地区と呼ばれている。
「都踊り」
残されている。その地の守護を任されたのが
山内陣助であり、1600年ごろ土佐に入国した
山内氏の名をはばかり、西森氏に改名した
旧家であるという。現在ではこの西森氏を中心に
都の太鼓踊りとして現存している。

これは西森氏宅の家紋。



都地区の安徳帝の墓所。謎めいている。




さて、この仁淀の奥地で
源氏の襲来に備えて
警備を厳重にしてきたという。
そこで具体的に仁淀エリア各要所に後に言う所の
五勇士
を置いたという。それが


池ノ峠に安井堂満
     やすい どうまん


岩屋村に佐藤清巌
     さとう せいがん


沢渡に桂木殿御
     かつらぎ とのご



別枝本村に音曽善蒙
     おんそ ぜんもう


烏出川に烏出生丹
     からすで うたん


を配置して、まさに敵が来た際の見張り役として
重要な位置に配置して安徳帝の警護を司ったという。
それぞれ、地形的に意味ある配置としており、それらの
勇士の墓も村史によれば現存してるそうである。



これが五勇士である。

まさに食うか食われるかの源平の戦い。


実際、現代においても、彼らの末裔一族は生きながらえ、
この地で確実に今も息づいている。





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