楮(こうぞ)
三椏(みつまた)
って、読めますか??? ( ´艸`)
仁淀川町はもともと、楮や三椏の和紙の原産地であった。多くの家ではこの栽培を行い、主要な換金作物としたという。いの町の旧吾北村周辺も仁淀川町と隣接する山間の町。同様であったという。
仁淀川町内では、昭和の時代に、紙幣から硬貨に変わる際、いわゆる「昭和の紙一揆」もあったらしい。
そんな大きな事件になるほど、和紙(原料)の製造が生活の大きな支えだったのである。
この日(2011.6.30)は、いの町の皆さん(役場や議員の方など)と仁淀川町でBスタイル事業を展開しているスタッフ、私も含めて意見交換をさせていただきました。
私は、Bスタイル事業に取り組む以前から、この「みつまた」については産業化とまでは言いませんが、なんとか収入のきっかけを作れないかと模索をしておりました。
仁淀川町の傾斜地に合った植物で栽培に適しているというのだ。
想いは、いの町の皆さんも同じではないでしょうか?
共に活動が出来たら、素晴らしいと思います。
これはキッカケです。(‐^▽^‐)
SEE YOU!