長州大工とは | がんばる地上の星たち!高知と松山のまんなか・仁淀川町

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土佐の山間・仁淀川町(によどがわちょう)の(元)地域支援企画員の日記!

長州大工


とは、江戸後期から明治にかけて、現在の山口県の周防大島から四国へ渡り、神社仏閣や民家などを建てた大工さんの総称である。


この土佐の山間、仁淀川町エリアに入って活躍したという。


仁淀川町では、その軌跡が多くの残されている!


江戸時代、周防大島は長州藩領であったことや、長州は早くより文化の開けた強国であったので知名度も高く、他国人に理解されやすいという特典もあり、「長州大工」を名乗ったとも言われている。


長州大工は、宮大工、家大工、野丁大工、船大工の4種類に分かれ、仁淀川町に来たのは

宮大工と家大工 であったという。


社寺の棟札には、工匠、大工、小工、弟子の職名が書かれている。




実際、仁淀川町宮ケ平の熊野神社、用居地区の大師堂を建てたのは吉門友助氏が工匠となっている。


工匠とは、彫刻もできる大工のことである!



これは、用居地区の大師堂である!


ひっそりとあるが、きわめて、この地に異彩を放っている!!!



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なんとも豪壮なつくり!!


ぶったまげるぜよ~!!


ここは、松山街道の中継的な位置でもあったという。


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この彫刻は長州大工の匠の技、ここの彫刻はまた、非常にすばらしい!!


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玉をつかんでいるドラゴン!


迫力だ!  


今後、このブログでも長州大工の軌跡を追う旅を書いていきたいと思いまっす!


SEE YOU!