Bスタイル事業の一環、地域資源の調査で
仁淀川町の
つば やま
椿山地区に行きました!
椿山地区と言えば、結構、有名かもしれません。
最近まで焼畑農業が残されていた地区として。
四国で最も高い山である石鎚山の南方、高知県と愛媛県の県境の山間部にあるのだ。
によど自然素材等活用研究会の井上会長と2人で行きました。
まあ、イキナリ、この道です。たいしたこたー・・・・・アリマセン ( ̄□ ̄;) ってウソ
下は数十メートルの断崖です。下は谷川が流れています!
道路の柵は、なんと、森林軌道のレールか?その再利用したような資材を使っている。
おお~ハリガネかい ヽ(*'0'*)ツ ちょっとコワイ!
見渡せば、下流の人家のある集落からは、もう数キロ上がってきたけど、山ばかりがつづく。
途中、こんなお堂があって、歴史と文化を感じましたが、なぜ、こんな立派なものがここにあるのか?
長州大工の作りでしょうか、非常に凝っています。土佐弁では「りぐっちゅう」と言います(笑)
なにか言われがあるようですが、ここでは割愛します!
もう数分車を奥へとばすと、椿山集落へ着きました。
ここへ来るには2年ぶりくらいになります。その時は、自主防災組織づくりの支援でした。
春の椿山地区ではこのように、「ミツマタ」の花がそこらじゅうで咲いて、集落を黄色に染めていました。
ミツマタが地域の主要な現金収入であったこと、今はその名残であるかのように咲く。。。。。。。
第一村人発見です!
気さくな方でしたが、「写真はかんべんしておくれ」っていうので顔出ししませんが、
かわいらしい女性でした (-^□^-)
愛犬バジルちゃんと散歩中でした。
なんと息子さんはイギリスにいるという。
かなりコイツ(笑)に吠えられてしましましたが、やんちゃなワンコです。スタスタ!
いっぱいお話しした後、自宅に招いてもらいました。
ひとりで住んでいるという自宅へ。
この椿山集落は、現在、たったの7戸程度の住人だという。高齢者ばかり。この方はまだ若い方で70歳手前。
この階段、地区内には縦横にこういった小道があります。
軒の下には、トウモロコシがほしてあったり、
野菜を植えていたりと、自給自足に近い生活を皆さんされています。
ここは病院や商店などの地区から、10キロ以上離れている場所だ。
自宅の方へ入らせていただくと、いきなり、窓の外はどーーーん、
対岸のめっちゃ険しい地形、山々が目に飛び込んでくる絶景がありました!!!
井上さんも「ほあ~。。。。」と感心、感動中!しかも気持ちい風が入ってきます (ノ´▽`)ノ
コーヒーなど出していただき、歓迎してくれました~♪
さらにいろいろとお話してくれました。
椿山地区は以前に、昭和の時代に一度、映像化もされたそうで、その関連の資料なども見せていただきました。今も現存するであろうこの映像を一度見てみたいものです。
映像の内容は、椿山地区の集落における生活、とりわけ「焼畑」を中心に撮っている内容だという。
映像取材時の苦労話など書かれた冊子も拝見しましたが、大変な思いと苦労で撮られたようです。
録画映像にはBスタイル事業での生業づくりにも必要で、そのいろんな生きる手法が満ちているかもしれない。
椿山地区の平面図スケッチ
「椿山 ~焼畑に生きる~」 というタイトルらしい。
民族文化映像研究所 制作
そして、さらにこの椿山地区にはその昔、
平家落人伝説があり
この地区の中央部にある氏仏堂ではゆかりの「椿山太鼓おどり」が行われる。
平家伝説は壇の浦の合戦で敗れた平家一門、安徳帝潜行の中で四国に入り、この椿山に潜行、暮らしたという。数年暮らしたのち、瀧本軸之進が残り、この椿山地区をいまの地域にしたという。
瀧本軸之進は、地域の神となりいまも祀られている。
ミステリーな一面があるのだっ!
これが氏仏堂。そばには瀧本軸之進を祀った祠もある。
平家落人伝説が、古来よりこの椿山の人に語り継がれ、椿山の強い共通意識となって残り、集落をまとめるのに大きな役割を果たしてきたという。
つづきは次回に。。。。。
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