武田勝頼の里・仁淀川町大崎の街歩きガイド養成! | がんばる地上の星たち!高知と松山のまんなか・仁淀川町

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土佐の山間・仁淀川町(によどがわちょう)の(元)地域支援企画員の日記!

そりゃ、やるしかないでしょ!


あの観光アドバイザーの藤澤さんが 仁淀川町に来てくれるっちゅーんだから!


土佐へ落ち延びた伝説のあるこの、仁淀川町の大崎、なんと私の事務所のすぐ裏は、勝頼の墓所がある。

武田勝頼土佐の会 は、この高知に新しい武田勝頼伝説で観光地を目指しているのだから


高知県や仁淀川町の観光担当、仁淀川町の地域おこし協力隊(3名)なども参加していただきました。

実施日は、2010年10月16日。(急な日程であったが、なんとか実施できてよかった!)



まだまだ、始まったばかりの勝頼伝説ミステリーツアー。磨き上げをしないと商品とはならない。


まだ、街歩きマップも十分なものがなく、アイデアもこれから出さなくてはならないだろう。

いろいろなアドバイスをもらいながら、実地でガイドを岡林会長さんが行いながら、ガイド研修を行いました。



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藤澤先生のハナシがまた、おもしろい!

理論的かつ、旅行者のツボやいろんなタイミングを押さえた話術に、楽しみながら参加させてもらえるのが良い!



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土佐へ勝頼が入ってきたルートなどを想像したり、ミステリーロマンはココロをくすぐる。



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いったいどんな物語・ストーリーがあったのだろうか?

非常に興味深い。

世は戦国末期から関が原の戦い、そして山内家が土佐に入り、騒然とした時代だ!



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さあ、ガイドの実地だ!


自己紹介、大切な最初の話術。参加者まで各自、自己紹介して、その想いを聞く。

これにより、もっとガイドの中身が充実したものとなる。

ツアー客の心理をつくガイドが可能となる。



これまでのガイドとは一味も二味も違う指導だ。

やや普段とは勝手が違うが、場面ごとに工夫を凝らしたガイドの練習!

勝頼伝説ワールドへ誘え!


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土佐に残された武田家系図によると、勝頼は名を「大崎玄蕃」と変名し、この地で64歳まで生きたという。

そして、ナキガラを柿の木の元に埋めたという。マジか!?


勝頼の墓所の横には、巨大な、幹周りが1mはあろうかという柿の木があり、系図に書かれている内容と一致するが、はたして。。。。ほんとうか?いや、限りなく本当???うーむ


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しかし、こんなに大きい柿の木はないな。。。。




仁淀川町桜地区のひょうたん桜は、勝頼お手植えと言われている。

ここ、大崎にも1本「ひょうたん桜」の小さいものがあり、この木がそうだ。

今はそのひょうたん形のツボミは見られません。


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ここ大崎から、さらに上がること3kmあまり、そこには見事な桜地区の「ひょうたん桜」がある。

これが春の仁淀川町桜地区の「ひょうたん桜」!


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キレイである。一度見たら、印象に残る巨木で山腹の風景に溶け込んでいる。



さらに、勝頼、その息子の信勝の墓もこの大崎に存在している。

(系図に記載している箇所に行くとあるのだ!)


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この階段の上には、勝頼が建立したとされる「大崎八幡宮」がある。

この仁淀川町大崎は、今でこそ、国道33号線が走っているが、巨大な仁淀川と支流・土居川に挟まれ、かつ、山すそが延びてきており、まるで周りからの敵の進入を阻むかのような地形である。

その中にそびえ立つようにしてあるこの山に、大崎八幡宮が存在している!かつての城跡と推定。



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足腰の鍛錬にはもってこい?

しかし、起伏の激しい地形にあわせ、この階段!

段数は一体どれほどになるのか。街あるきガイドの要素としては、やや不利か。

あるいはこの「階段」を活かすか。。。。考えどころである。



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今回はガイドの「小物」も用意した岡林会長!

神社の説明の後に、この大崎地区は、その昔、河川を使っての材木運搬の拠点であったこと、また、その残骸?遺跡めいたものが残っているという。

今回は、それを写真で見せてくれました。

川には、船をつなぎとめていた岩の穴があるそうです。



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旧道にかかる橋は国の有形文化財に指定されている「川口橋」




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なんにもない?

と思われている仁淀川町大崎

ところがどっこいだ!


掘り起こせば、あるいはいろんな町の人の関わりをプラスしていけば、もっとおもしろいツアーができるだろう!

頑張っていきましょう、これからも!


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反省会をしながら、ガイド養成を終えました。


藤澤先生、ありがとうございました!

参加者の皆さん、ありがとうございました!

お疲れ様でした!



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さいごに、この日の夕焼け。


きっと、勝頼公もこのように、仁淀川町大崎に沈む太陽を見たに違いない。