豪雨の記憶シリーズ最終である!
平成10年当時、高知市を中心に襲った豪雨
いわゆる「’98高知豪雨」
その真っ只中にいた俺。 死ぬかと思った。。。
その記録である。
豪雨の記憶(1)、(2)を読んでない人は、コッチから先に読んでね。
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孤独な時間が過ぎた・・・・。
泣きそうな、俺・・。
朝の4時か・・・一睡もしてない・・・しんどい、頭がぼ~っとする。
5時か・・・まだ、暗い・・・。
6時だ・・・。やっと周りがよく見えるようになってる。雨はやんでいた。
ちょっと降りてみるか。
ざぶざぶと、水をかきわけながら、コンビニ内を見たら、みんな無事のようだ。お互い知らないもの同士なんだが、なんだか、ほっとした。
あ、救命ボートが来た!
・・でも、ただ、見ていくだけで、人を救命してくれない・・・お~い!!
腹も減った・・・ふらふらするし、あ、俺の車(職場の車だけど)はどうなってるのか?あわてて見てみたが、ご臨終だった。かろうじて、カメラは大丈夫そうだった。
カメラであたりを撮ってまわった。
これはその時撮った写真↓
まだ、たくさん水があって、思うように移動も出来ない。いったい、どれくらいの範囲が浸水しているか分からないが、ものすごく広大だ・・・・(汗)
早く家に帰りたい・・・。
ちょっと、歩いてみた。水の影響の無い人家があった。
俺は、助けを求めて、事情を話したら、パンと牛乳をくれた。・・・ありがたかった。・・・すこし、生き返った。そこで、すこし休んだ後、お礼を言って、とにかくこの巨大な水溜りから脱出しないといけないと思った。
歩けど歩けど、水はある。
高級車や大型RVも水にやられて、ぐちゃぐちゃだ。店舗も人家も公共施設もみんな水浸しだ。人もたくさん、出口を求めている。もう、水が茶色いので穴があってもわからないし、溝があってもわからないので、恐ろしくて、進めない・・・。
1時間以上もさまよったところで、力尽き、水の無いところで一休みしていると、自衛隊のボートが来た。・・・老人、子供、女性が乗っていた。俺が乗っちゃいけないのかな?と思いつつ、席が空いているようだったので、
「すいません、乗せてください・・」と言って、乗せてもらった。
ボートは水の無いところまで付けてくれて、俺はそこでボートを降り、家のある東のほうに歩いていった。
まさか、自分が自衛隊に助けられるとは、夢にも思わなかった。
・・・どこか、電話BOXは・・・?
数キロ歩いたところにやっとあった。時間は9時を回っていた。そこから、職場に電話したら、すぐに、職員が駆けつけてくれて、俺を家まで運んでくれた。
・・・た、助かった・・・・。
この中にいたのである。
(他のHPからお借りしてきた航空写真)
俺は家に帰り、青白くなった体を風呂で温め、泥のように眠った。
次の日に、車を他の職員が業者に頼んで、取りに行ってもらい、修復できるか調べてもらったら、何とか直ると言う。よかった。無事、後日直って帰ってきた。奇跡や!
でも、シートはしばらく乾かさないと、臭くて乗れないな。
このことについて、職場からは、おとがめは特に無かった。
職場のみんなはビックリしていた。
一緒に行っていた上司は、「おれんちに泊まったら、よかったなあ」と笑っていた。
って、おい( ̄▽+ ̄*)
あんたが「これくらい、いつものことや」なんて言うから・・・。
ま、いいか。
ああ、生きててよかったなあ・・・しみじみ・・・。