「武田勝頼土佐の会」の記事を書きますね。
結成は、平成20年10月です。
風林火山で有名な武田信玄の四男で武田家最後の頭首・武田勝頼!
武田勝頼土佐の会ホームページ
http://katsuyoritosa.web.fc2.com/
この活動の原点は、この土佐・仁淀川町などに残された3つの武田家系図を根拠に、武田勝頼土佐落人伝説で地域の活性化を目指そうと活動が始まりました!
メンバー皆で考えました。
まず、2009年は系図によると没後400年!にあたるらしい。
(系図では、1609年に仁淀川町で没したと記載あり、しかし、まだまだ町内でも知られていない)
住民参加型の年間イベントを検討しよう。
当時は、週一で会合を行い、検討を行いました。
(会が立ち上がったばかりなので、最初のコンセプトづくりが大事でした)
そこで、考えたのが以下の内容であったのだ。
■2009年2月・・・かつよりくん弁当創作コンテスト
■2009年4月・・・サクラまつり(勝頼ツアー&玄蕃太鼓演奏)
■2009年8月・・・勝頼没後400年祭・大崎夏の陣
■2009年10月・・・勝頼没後400年祭・大崎秋の陣
であった!
「大崎」ってのは、勝頼の墓所がある仁淀川町大崎地区のことです。
陣ってのが武者っぽいでしょ?
(土佐における武田勝頼伝説とは???)
名だたる戦国武将・武田信玄の4男である甲斐武田家20代当主「武田勝頼
」は、定説では天正10年(西暦1582年)天目山で自害したとされていますが、高知県吾川郡仁淀川町に残る影武者説では、武田勝頼は織田軍からの敗走後、当時の土佐の武将・香宗我部氏を頼ってこの土佐に落ちのび、その後、この大崎村川井(現仁淀川町大崎)に入り、以後、名前を「大崎玄蕃(おおさきげんば)」と変名し、この地で25年ほど活躍し、慶長14年(西暦1609年)8月25日64歳で逝去され、鳴玉神社に葬ると記録(仁淀川町及び佐川町に残る武田家系図に記載)があります。
「武田勝頼土佐の会」
は、土佐(高知県)における武田勝頼落人伝説に基づき、2009年8月に武田勝頼が没後400年を迎えることからこれを記念するとともに、この地で伝えられてきた「玄蕃踊り」(踊りの象徴である「花台」も復活!)や「玄蕃太鼓」を通して、さらに周辺地域の民俗芸能団体もご参加いただき、地域を元気に盛り上げていくイベントを開催するものです。
史跡へも案内してもらいました、見れば見るほど、聞けば聞くほど、不思議だ。。。
限りなく本当だと思わせてくれます、いや、真実では???ううむ。。。。。ミステリー!
仁淀川町大崎の勝頼墓所(鳴玉神社)
大崎小学校の東50mほどのところ。
「玄蕃おどり」の象徴はであった花台!この踊りも絶滅危惧である。。。。。
地域の誇り・・・復活だ。
次回はこの内容に触れてみたいと思います。
■2009年 2月・・・かつよりくん弁当創作コンテスト