
長男が大学に進学して家を出たあと、森さんの家には一つ空いた部屋ができました。
その部屋は、長い間ずっと長男の部屋でした。
壁には古いポスターが残っていて、本棚には受験参考書が並んでいました。机の引き出しには使いかけのノートがあり、クローゼットにはもう着ない制服がかかっていました。
母親の恵子は、すぐには何も変えませんでした。
息子が帰ってきたとき、昔と同じ部屋があったほうが安心するかもしれない。そう思ったからです。
でも、半年が過ぎ、一年が過ぎても、その部屋はほとんど使われませんでした。
帰省した息子はリビングで過ごすことが多く、自分の部屋には寝るときだけ戻りました。机も本棚も、そのまま残っているのに、時間だけが止まっているようでした。
ある日、恵子は二階に洗濯物を運びながら、その部屋の前で立ち止まりました。
ドアは少し開いていました。
午後の光が床に差し込んでいました。
そのとき、ふと思いました。
「この部屋、もう少し今の家族のために使ってもいいのかもしれない。」
恵子には、ずっと欲しかった場所がありました。
家計簿をつけたり、手紙を書いたり、趣味の刺繍をしたりする小さな場所です。今まではダイニングテーブルを使っていましたが、食事の時間になるたびに片づけなければなりませんでした。
夫は「この部屋を使えばいい」と言いました。
でも、恵子は少しためらいました。
息子の部屋を自分の部屋に変えることが、息子を追い出すように感じたのです。
週末、帰省した息子に聞いてみました。
「この部屋、少し変えてもいいかな。」
息子は少し驚いた顔をして、それから笑いました。
「いいよ。というか、まだ参考書あるの?」
その一言で、恵子は少し気が楽になりました。
ただ、全部を変えるつもりはありませんでした。息子が帰ってきたときに眠れる場所は残したい。思い出のものも少し残したい。でも、自分が日常的に使える場所にもしたい。
どう配置すればいいのか迷ったので、恵子は間取り図作成を使って部屋の形を描いてみました。
ベッド、机、本棚、クローゼット、窓。画面の上で家具を動かしてみると、無理に全部を残す必要はないことが分かりました。
ベッドはそのまま残せます。大きすぎる勉強机は処分し、小さな作業机に替える。本棚の一部には息子の本を残し、残りは恵子の道具を置く。クローゼットの半分は空けて、息子が帰省したときに使えるようにする。
部屋は、息子の過去と恵子の今を半分ずつ持つようになりました。
数週間かけて、少しずつ片づけました。
古い参考書は息子に確認してから処分しました。制服はきれいに畳んで箱に入れました。ポスターは一枚だけ残しました。窓際には小さな机を置き、刺繍糸を入れる引き出しをそばに置きました。
最初にその机で手紙を書いた日、恵子は不思議な気持ちになりました。
誰かの場所を奪ったのではなく、止まっていた部屋にもう一度時間が流れ出したようでした。
次に息子が帰ってきたとき、部屋を見て言いました。
「前より落ち着くね。」
恵子は少し安心しました。
間取り図を作ったことで、彼女は部屋を完全に変えるのではなく、少しずつ今の暮らしに合わせる方法を見つけられました。
家族の形が変わると、部屋の役割も変わります。
それは寂しいことだけではありません。
残したいものを残しながら、新しい時間を迎えることも、家にとって大切な変化なのだと思います。
- 前ページ
- 次ページ