徳行品第一 #3 「菩薩の徳」 | 仏教のこころ

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●無量義経徳行品第一 #3

 第一 通序 「菩薩の徳」


●概要

ここでは、菩薩の具えた徳を讃えている。
修行の結果、機根を高め、あらゆるものをあるがままに観る智慧を具えてきた。


●現代語訳

この菩薩たちは、皆、真理と一体となった高い位の修行者である。戒律を守り、禅定をし、智慧が深く、迷いから離れ、迷いから離れていることを自覚している。

その菩薩たちの心は落ちついて動じることがなく、常に心を一つに集中している。現象に振り回されることがなく、常に安らかで、ものごとにこだわることがない。自己中心的ではなく、必要以上の欲もない。真理を無視するような考えはなく、想いが乱れることもない。心が澄んで静かに落ち着いており、志は高く、広くて無限である。

このことを守って長い間、動揺することがなく、多くの教えを理解してきた。大きな智慧を得ているので、世界の事物・現象を深く観ることができる。物事の特徴と本質を見通し、見分け、そのものの特徴の有無、度合いをはっきりと見極めている。


●訓読

この諸の菩薩、皆これ法身の大士ならざることなし。戒・定・慧・解脱・解脱知見の成就せる所なり。その心禅寂にして、常に三昧に在って、恬安憺怕(てんなんたんぱく)に無為無欲なり。顛倒乱想、また入ることを得ず。静寂清澄(じょうじゃくしょうちょう)に志玄虚漠(しげんこまく)なり。これを守って動ぜざること億百千劫、無量の法門悉く現在前せり。大智慧を得て諸法を通達し、性相(しょうそう)の真実を暁了(ぎょうりょう)し分別するに、有無長短、明現顕白なり。



●真読

是諸菩薩。莫不皆是。法身大士。
ぜしょぼさつ。まくふかいぜ。ほっしんだいじ。

戒定慧解脱。解脱知見。之所成就。
かいじょうえげだつ。げだつちけん。ししょじょうじゅ。

其心禅寂。常在三昧。恬安憺怕。
ごしんぜんじゃく。じょうじゅうさんまい。てんなんたんぱく。

無為無欲。顛倒亂想。不復得入。
むいむよく。てんどうらんそう。ふぶとくにゅう。

靜寂清澄。志玄虚漠。守止不動。
じょうじゃくしょうちょう。しげんこまく。しゅしふどう。

億百千劫。無量法門。悉現在前。
おくひゃくせんごう。むりょうほうもん。しつげんざいぜん。

得大智慧。通達諸法。曉了分別。
とくだいちえ。つうだつしょほう。ぎょうりょうふんべつ。

性相真実。有無長短。明現顯白。
しょうそうしんじつ。うむじょうたん。みょうげんけんびゃく。



●解説

ここでは、菩薩の徳を讃えている。

はじめて『法華三部経』を読む方には分かりにくいが、法華経では、他者への供養・恭敬・尊重・讃歎を勧めている。他者を軽く見て、馬鹿にし、否定することによっては、相手から何も学ぶことはできない、相手を認め、肯定し、敬うことによって、相手からの学びがある。「南無」という心、合掌の心は、具体的には、供養・恭敬・尊重・讃歎という実践によって表わされる。これらを実践することによって、法華経の説く内容がみえてくる。徳行品では、最初に菩薩を讃え、次に仏陀を讃える。このことは、供養・恭敬・尊重・讃歎のよき手本となる。


●用語の意味

○法身(ほっしん)
(梵)ダルマ・カーヤ "dharma-kaaya"
真理そのもののこと。真理と一体化したこと。


○三学・五分法身
戒・禅定・智慧を修めることを「三学」という。仏道修行者が修めるべき基本的な修行項目のこと。また、三学に解脱、解脱知見を合わせて「五分法身」という。五分法身とは、法身の大士が具えている五種の功徳性のこと。解脱身のこと。

①戒(かい)
(梵)シーラ "sila"
自分自身をコントロールする内面的な道徳規範を戒といい、戒を守ることを持戒という。

②禅定(ぜんじょう)
(梵) ディヤーナ "dhyaana"
特定の対象に心を集中して、散乱する心を安定させること。

③智慧(ちえ)
(梵) プラジュニャー "prajJna"
諸法実相を観察することによって、体得できる実践的精神作用を慧といい、煩悩を完全に断つ主因となる精神作用を智という。

④解脱(げだつ)
(梵) ヴィモークシャ "vimokSa"
煩悩に縛られていることから解放され、迷いの苦を脱すること。

⑤解脱知見(げだつちけん)
解脱していることを自分自身で認識していること。


○三昧(さんまい)
(梵)サマーディ "samaadhi"
禅定が深い状態のこと。


○恬安憺怕(てんなんたんぱく)
とらわれがなく、ひっかかりがない状態。


○無為(むい)
(梵)アサンスクリタ "asaMskRta"
分別造作がないこと。因縁によって作られたものでなく、生滅変化を離れた常住絶対の法のこと。因縁によって作られたものを「有為」という。


○顛倒(てんどう)
転倒。道理にそむいて誤っていること。本来とは逆になっていること。仏教では、四顛倒を説く。

①常顛倒 (じょうてんどう)
事物・現象は無常であるが、常だと考えること。

②楽顛倒(らくてんどう)
一切は苦であるが、一時的な状態だけをみて楽だと考えること。

③浄顛倒 (じょうてんどう)
不浄なものを、表面だけを見て浄だと考えること。

④我顛倒(がてんどう)
自我を認識することはできないが、何らかのものを自我だと誤って認識し、執着すること。


○静寂清澄(じょうじゃくしょうちょう)
静かに落ち着き、煩悩に惑わされることなく澄み切った心境のこと。


○志玄虚漠(しげんこまく)
志は奥深く、限りなく大きく広がっていること。


○智慧(ちえ)
(梵)プラジュニャー "prajNaa"
音写して、般若という。真実を悟る無分別智のこと。物事を正しくとらえ、真理を見きわめる認識力。六波羅蜜の一。


○諸法(しょほう)
さまざまな事物・現象のこと。


○性相(しょうそう)
諸法の体性と相状のこと。


○暁了(ぎょうりょう)
あきらかに理解すること。


○分別(ふんべつ)
分けて考えること。分析。もろもろの事理を思量し、識別する心の働き。空の思想は、無分別による観察を行うため、分別をしないように勧める。まず、事理を分別し、次に無分別して真実を観て、さらに分別を無分別の智によって観る。



~無量義経徳行品第一 #3