この子の人生を、見届けられたなら・・・。
そんな、言葉で始まる歌がある。
そのとおりで、我が子の健やかな成長を願わない親などないと思っている。
ただ、我が子に対して、「愛情」の押しつけをしてきたという事に気がついた。
休みが取れると、テーマパークに連れていき、「楽しいはずだ」という押しつけ。
夏休みには、海に行き暑い砂浜で・・・・・。
冬には、スノーボードを無理やりやらせて・・・・。
言い換えれば「虐待」だったと思う。
だけど、あの時はそれが正しいと思っていたし、そうしてあげられることに自己満足していた。
自己満足していただけなので楽しかったとかいう思い出などはなく、「行ったなあ・・・。」という記憶だけが残っている。
先日、子供たちと話しているうちに彼らの中にある楽しかった思い出は、ごく当たり前の些細なことだった事実を聞いた。
「保育園の帰りに、オヤツ買ってもらってあそこの公園いったなあ・・・。」
「ザリガニまだいてるかなあ・・・・。」
そう、自分が「親」としてやっていたことは「父親ごっこ」であって、彼らの求める愛情、「父親」との間にはすごい温度差があったのだろう。
普通の機能している家庭ではそのことに早いうちに気づき、調整出来ていたのだろうが、我が家は機能していない家庭の見本のような家庭であった。
我が子を「アダルトチルドレン」と決めつけたいわけではないけれど、余りにもそれに当てはまる事柄が多いので家族の前で「アダルトチルドレン」というのがあるということ。
「あなたたちが求めるとき、答えてやれなかったこと」
家族の間にある温度差をなくしていきたいという話をしてみた。