明日で終わりだと言うのに、やっと金曜日行ってきました。
ホームページから拝借した写真より
第一章 加賀前田家歴代
利家ってこんな金ピカの丸具足だったんですね
戦国時代って派手
第二章 百万石の文化大名
荏柄天神縁起絵巻
前田家って天神信仰から、菅原道真を信仰し、なんと菅原姓を名乗っていたとか
アエネアス物語図毛綴壁掛
ブリュッセルで製作されたタピスリーです。ほぼ製作当時の糸や色彩を保持していて
世界中でも大変貴重だそう
多分、全く飾っていなかったのではないでしょうかね
第三章 加賀前田家の武と茶の湯
大名物 唐物茄子茶入 銘 富士
今回の展示で一番好きだった作品
足利将軍家の東山御物。由緒正しき名品
茶入れと内赤盆と色、形、大きさとのバランスからいっても
歴代の持ち主に愛された宝だったことが伺えます
本当に素敵だった
唐物茄子茶入(富士) からものなすちゃいれ(ふじ)
- 東京都
- 南宋 / 1101-1300
- 素地は鉄分を含んだ細密な褐色陶胎をなしており、薄く轆轤成形している。形態は胴が張ったいわゆる茄子形茶入をなし、底は平底とし細かい糸切りを残している。胴はきわめて薄く挽き出し、頸下、肩、胴下部にそれぞれ沈線を一条廻らしている。口は小さく口辺をわずかに外反させ口端を丸く捻り返している。口辺の内面から胴部には全体に飴色の鉄釉を掛けているが、胴裾から底は土見せとしている。肩から胴にかけて白濁した釉が掛かり、一方に大きくなだれかかっている。
- 高5.5 口径3.7 胴径7.1 底径3.0(㎝)
- 1口
- 東京都目黒区駒場4-3-55
- 重文指定年月日:19990607
国宝指定年月日:
登録年月日: - 公益財団法人前田育徳会
- 国宝・重要文化財(美術品)
本茄子茶入は、足利将軍義輝が所持したと伝えられる大名物で、曲直瀬道三(一五〇七-九五年)、織田信長(一五三四-八二年)、豊臣秀吉(一五三六-九八年)、前田利家(一五三八-九九年)などを、付属の茶入袋・挽家・盆・牙蓋・利休作の茶杓を伴いながら伝来したもので、茶道具における唐物茶入のあり方を如実に示す貴重な遺例の一つである。
茶会記の記録によれば元亀二年(一五七一)八月十二日の織田信長による岐阜城での茶会や天正十五年(一五八七)十月朔日の北野大茶之湯など数多くの茶会で用いられている。
本茶入は、均整のとれた品格ある形姿を示しており、富士山の偉容にちなんで「富士」の銘が付けられたと推測される。総体に掛かる飴色の鉄釉は艶やかでむらなく均一に深く掛かり、一方には白濁した釉が大きく流れて見事な釉景色を作り出している。唐物茄子茶入(紹鴎・一名みをつくし<重文・湯木美術館蔵>)とともに唐物茄子茶入を代表する作行優れた作品であり、茶道文化史上貴重な遺例である。
名物 大井戸茶碗 福島井戸
あとは写真はないですが、夥しい数の名物裂が展示されていて
前田家が道具の保管展示にどれだけ心血を注いでいたのかが伺えました
第四章
天下の書付
書が大事だと言うことで相当の書物のコレクションをしていたようです
藤原定家の書。たっぷり墨を含んでかすれていく定家様を堪能しました
あとは土佐日記などをはじめ、素晴らしいコレクションの数々
そして、お借りした書物への返礼(?)として
柿渋を塗った箱を100箱贈呈(?)していたり
本当に書物を大切に思っていらしたのだと感服しました
足利尊氏、直義、夢窓疎石合筆
これも見事でした
百工比照 として、釘隠しから漆、小紋の布地まで色々な標本を集めていたようで
博物館ですね
前田家はどうも、
コレクション癖はあらゆるところにあったようです
溶姫の婚礼調度品
この姫の輿入れで赤門ができた方
第五章 侯爵前田家のコレクション
いち早く財団を創立していたため、多くの大名家のようにコレクションが散逸することが免れたようです。
ポンポンちゃんのコピー
勾玉コレクション
ルノワールもありました
ポンポンちゃんの後ろ姿
加賀前田家は、初代・前田利家が北陸に領地を得て以来、金沢を本拠に、江戸時代を通じて加賀・越中・能登の三か国、百万石以上の規模を誇る大名家として、明治維新に至るまで領国統治を行ないました。近代に入って東京に本拠を移し侯爵となった後も、前田家伝来の文化財の保全に努め、16代・利為(としなり)は、大正15年(1926)に育徳財団(現在の前田育徳会)を設立しました。
令和8年(2026)、前田育徳会は創立百周年を迎えます。これを記念して、加賀前田家歴代当主の事績を振り返るとともに、旧蔵品を含めた加賀前田家伝来品の数々を紹介いたします。百万石の城下で花開いた技術と造形、知識と思想を通じて、今に続く加賀文化の美の真髄に迫ります。













