光る君への題字を書かれた根本知さんの講義を受けて以来「書」が気になって仕方なく
ついに、意味不明だった「書」への興味が沸々湧いてきております。
ということで行ってきた、石川九楊展。
こういう展覧会が見たかったんです。
今年見た展覧会の中ではダントツトップです。
書は文字なのかアートなのか
私の結論は書は現代アートです。
特に石川九楊先生の描かれる文字は一つ一つは判読不明ですが
象形文字のようでいてそうではないけど、なんとなく意味を持っていそうで、
ずっとその文字と対峙したくなりました。
先生の書かれた文字の滲み、重ね、余白、造形から
文字の中に含まれる意味と
現代アートの中に含まれる意味は
表現方法が違うだけだと思いました。
根本先生は、今の書道というのは、最初にどんと打つのが定番になっているので
”かな”が書けないとおっしゃてましたが
石川先生の書を見ているとそうだな。
書道の時間に習った
トメ、ハネ、ハライ
いらないんじゃない?書はアートなんだからって思ってしまいました。
この絵は
源氏物語の「若菜」を表現した一行書です。
光源氏、女三の宮、柏木、紫の上のそれぞれの心情がさざ波のように表され
時折白波が立っています。
書が抽象的に心の動きをあわらしていました。
「二十にして心すでに朽ちたり」と書いた中国唐代の「夭折の天才詩人」李賀詩の作品。九楊は李賀詩の主題を「涙」ととらえ、東アジア特有の美学であるニジミを過剰なまでに多用し作品化。李賀詩ではこのほか「贈陳商」、「将進酒」などがある。
源氏物語五十五帖 椎本」2008年、59×99cm
「源氏を書かないと日本古典文学を書いたことにならない」と九楊は語る。源氏物語五十四帖に、表題だけで本文のない光源氏の死を表わす「雲隠」帖を加え、「源氏物語書巻」と命名し発表。7ヵ月をかけて全五十五帖を書き上げた。「椎本」は当シリーズのなかの一作品。一行一字(いわゆる右行縦書き)で書いた圧倒的な筆蝕の書。
「萬葉仮名」、つまり漢字を一文字ずつマス目状に萬葉集の世界を表現した作品。精巧に計算された構成と、精緻な筆蝕で一点一画を書き上げた、まさに「モダンアート」のような作品。
徒然草No.22」1993年、95×62cm
No.23まである徒然草シリーズの総仕上げにあたる作品。同シリーズはこれまで基本的に横長の紙面に展開されてきたが、ここでは縦長に伸長した紙面のなかに「白い歎異抄」と「黒い歎異抄」を混在させ、狂おしいまでの「逆説」の世界を表現している。
方丈記No.5」1988年、109×90cm×二点
コマ割りのなかに物語が展開する表現は、この方丈記シリーズから始まった。絵巻物を意識して、マンガや絵本が一コマずつ進んでいくように、各コマごとに物語が完結しながらも、その物語の世界が次から次へ連綿とつながっていく。
正信偈」2019年、60×95cm
「正信偈」は親鸞の主著「教行信証」のなかの一部。「帰命無量寿如来 南無不可思議光」で始まる「正信偈」は、蓮如の「白骨の御文」とともに浄土宗の法要でなじみ深い。親鸞は一字書くたびに涙を流し、一字一涙の思いで書いたと伝えられる。九楊にとって最新の古典作品。